1909-10-01から1ヶ月間の記事一覧
「ゴルハム銀器製造会社」紀念銀牌(「紀念牌及徽章」 (『渡米実業団誌』巻頭折込)掲載) 『竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.51-65 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十月廿二日 金曜日 (晴)午前一時ニユーヘブン市に向て発車す、午前四時同地…
是日栄一等渡米実業団一行、ニュー・ヨークを発し、二十三日ボストンに着し、三日間滞在、其間二十四日にはニューポートのペリの墓に詣づ。二十六日ボストンを発し、ウースター及びスプリングフィールドを訪ふ。二十八日フィラデルフィアに入り、三日間滞在…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.264-282 ○第一編 第六章 回覧日誌 東部の下 附記 加奈陀分遣隊記事 (田村新吉氏稿) 十月廿一日午前八時オツタワ市を発し。セントアンス市に向ふ。此地にはマクドナルド大学(私立)あり。校長・教頭の案内にて同…
『竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.44-51 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十月廿一日 木曜日 (晴)紐育滞在一週間も匆卒の間に経過して、今夜十一時列車に帰着し、明朝は午前一時に発車する順序なりければ、一行は荷作等に余念なし青渊先生には…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.264-282 ○第一編 第六章 回覧日誌 東部の下 附記 加奈陀分遣隊記事 (田村新吉氏稿) 十月二十日プレストン氏其他の案内にて、個人の経営農場・製材場・水道、「インターナシヨナル・マソン・シグナル」会社・議事…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.540-542 ○第三編 報告 第二章 電信雑輯 [前略]之れ [10月19日付、渋沢団長から商業会議所宛のポルトラ祭典成功を祈念する電報] に対し、翌日桑港商業会議所会頭マクナブ氏より、渋沢団長に宛て 「桑港商業会議所は…
『竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.44-51 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十月二十日 水曜日 (晴)青渊先生には午前中信書を認められ、正午エクイテーブル生命保険会社々長バウル・モルトン氏の催にかかる法律家倶楽部に於ける午餐会に出席せら…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.264-282 ○第一編 第六章 回覧日誌 東部の下 附記 加奈陀分遣隊記事 (田村新吉氏稿) 明治四十二年十月十八日南博士・原博士・渡瀬学士・田村の四氏は、加奈陀地方農商工業視察の為め、分遣隊として紐育を発し、十…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.540-542 ○第三編 報告 第二章 電信雑輯 十月十九日紐育滞在中、桑港市が震災後に於ける復興を祝せんが為めに催したる、ポルトラ(最初に加州を開拓したる人)祭典を行ひたるにより、団長渋沢男爵の名を以て、同日…
『竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.44-51 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十月十九日 火曜日 (晴)午前七時青渊先生には、日比谷・坂口・堀越・中野・西村・紫藤・町田・上遠野の諸氏と共に、ホルヨークに於ける絹糸協会々頭スキンナー氏経営の…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.264-282 ○第一編 第六章 回覧日誌 東部の下 附記 加奈陀分遣隊記事 (田村新吉氏稿) 明治四十二年十月十八日南博士・原博士・渡瀬学士・田村の四氏は、加奈陀地方農商工業視察の為め、分遣隊として紐育を発し、十…
『竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.44-51 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六十月十八日 月曜日 (晴)本日以後廿一日迄は定められたる日程とては無く、一行随意の行動に委せられたれば、青渊先生には終日在宿せられて、来訪日本人に接し且信書を認…
『竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.44-51 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十月十七日 日曜日 (晴)午前十時より青渊先生には中野武営氏及一行中の同会員と共に、東京高等商業学校同窓会紐育支部の歓迎会に臨まれたり、出席者は一行中にては 青…
「紐育平和協会」徽章(「紀念牌及徽章」 (『渡米実業団誌』巻頭折込)掲載) 『竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.44-51 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十月十六日 土曜日 (晴)青渊先生には午前中を接客に忙しく経過せられ、午後一時より一行…
『実業之日本』 第12巻第22号 (1909.10.15) p.4-12 我渡米実業団の一行に如斯奇談あり 九月十四日、シヤトルの日本実業団旅館 華盛頓ホテルに於て 特別通信員社友加藤辰弥 (1)一行皆渋沢男に舌を巻く「何といつても渋沢さんは実にエライ』といふ一語は、…
『竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.44-51 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十月十五日 金曜日 (晴寒風強)午前十時より紐育商人協会の案内にて、西四十二丁目の波止場より汽船に乗じてハドソン河を下り、港内の状況、水陸連絡の状態を視察し夫よ…
『竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.44-51 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十月十四日 木曜日 (晴)午前中は休息の時間割なりければ、青渊先生には室内に在りて信書を認められ、午後零時半より、一行と共に紐育商業会議所に於て開催せられたるレ…
「紐育絹業協会」徽章(「紀念牌及徽章」 (『渡米実業団誌』巻頭折込)掲載) 『竜門雑誌』 第269号 (1910.10) p.28-31 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六君 十月十三日 水曜日 (晴)午前九時絹物組合員の案内にて、青渊先生以下自動車に分乗ホテ…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.540-542 ○第三編 報告 第二章 電信雑輯 ○上略十月十二日 オクラハマ州オクラハマ市三井物産会社出張所より 「オクラハマ市の商業会議所は、日本実業団がオクラハマ市を訪問せんことを熱心に希望す、其諾否を承知し…
『竜門雑誌』 第269号 (1910.10) p.28-31 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六君 ○上略十月十二日 火曜日 (晴)午前六時半紐育市グランド・セントラル停車場に到着す。○中略車中にて食事を終り、歓迎委員の案内にて青渊先生以下一同自動車に分乗して…
是日、栄一等渡米実業団一行、ニュー・ヨーク市に入り二十一日まで滞在す。十月二十日、タウンゼンド・ハリスの墓に詣づ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / …
「ゼネラルエレクトリツク会社」徽章(「紀念牌及徽章」 (『渡米実業団誌』巻頭折込)掲載) 『竜門雑誌』 第269号 (1910.10) p.22-28 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六君 十月十一日 月曜日 (晴)午前一時シラキユース市を発し、四時卅分、スケ…
『竜門雑誌』 第269号 (1910.10) p.22-28 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六君 十月十日 日曜日 (晴)午前中は順序なし、但市内各教会は開放して一行を歓迎すべければ、各自自由に礼拝せられん事を希望する旨、米国側委員より通報ありしも、青渊先…
『東京経済雑誌』 第60巻第1511号 (1909.10.09) p.688 ○渡米実業団の消息 我渡米実業団は九月二十八日深夜汽車にてシカゴを発し、サウスベンドに赴き、夫より二十九日クランドラピツトに入り、駐日大使オブライエン氏に邂逅し、盛なる午餐会あり、同夜直に…
「シラキユース商業会議所」徽章(「紀念牌及徽章」 (『渡米実業団誌』巻頭折込)掲載) 『竜門雑誌』 第269号 (1910.10) p.22-28 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六君 十月九日 土曜日 (曇)午前一時三十分オーバーン市に到着、同二時発車し、三…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.538-540 ○第三編 報告 第二章 電信雑輯 十月八日イサカ市滞在中、当時大学総長会議に参列の為め、ボストンへ出張中なる、コロネル大学総長ヤコブ・シュオルマン博士よりの来電 「閣下及団員諸君に対し、衷心より敬…
『竜門雑誌』 第268号 (1910.09) p.21-27 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十月八日 金曜日 (晴)午前四時ロチエスター市を発車して、同七時十五分イサカ市に到着、朝餐を車中に済まし、九時半出迎の自動車に一行分乗してコーネル大学に向ふ、此…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.609-612 ○第三編 第九章 雑件 第三節 一行に対する加奈多側の態度 在晩香坡矢田領事が、十月七日附を以て、小村外務大臣に報告したる所に依れば、一行がナイヤガラ瀑布観覧に赴きたる際、加奈多側に至りしに、加奈…
「ロチエスター商業会議所」徽章(「紀念牌及徽章」 (『渡米実業団誌』巻頭折込)掲載) 『竜門雑誌』 第268号 (1910.09) p.21-27 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十月七日 木曜日 (晴)午前四時二十分バツフアロー市を発車して、六時三十分ロ…
渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵) ○十月六日以後ノ日記ヲ欠ク。 (『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.157掲載) 『竜門雑誌』 第268号 (1910.09) p.21-27 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十月六日 水曜日 (晴)午前九時三十分ホテ…