「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

1909-10-20から1日間の記事一覧

 1909(明治42)年10月20日(水) 渡米実業団員を歓迎し、カナダ農商務大臣フィッシャーが晩餐会開催 【滞米第50日】

『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.264-282 ○第一編 第六章 回覧日誌 東部の下 附記 加奈陀分遣隊記事 (田村新吉氏稿) 十月二十日プレストン氏其他の案内にて、個人の経営農場・製材場・水道、「インターナシヨナル・マソン・シグナル」会社・議事…

 1909(明治42)年10月20日(水) 団長宛、サンフランシスコ商業会議所会頭からの返電

『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.540-542 ○第三編 報告 第二章 電信雑輯 [前略]之れ [10月19日付、渋沢団長から商業会議所宛のポルトラ祭典成功を祈念する電報] に対し、翌日桑港商業会議所会頭マクナブ氏より、渋沢団長に宛て 「桑港商業会議所は…

 1909(明治42)年10月20日(水) 自由行動。渋沢栄一はエクイタブル生命社長主催午餐会の後、タウンゼント・ハリスの墓へ 【滞米第50日】

『竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.44-51 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十月二十日 水曜日 (晴)青渊先生には午前中信書を認められ、正午エクイテーブル生命保険会社々長バウル・モルトン氏の催にかかる法律家倶楽部に於ける午餐会に出席せら…