「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

シアトル

 1909(明治42)年10月15日(金) 日本での報道「我渡米実業団の一行に如斯奇談あり」(実業之日本)

『実業之日本』 第12巻第22号 (1909.10.15) p.4-12 我渡米実業団の一行に如斯奇談あり 九月十四日、シヤトルの日本実業団旅館 華盛頓ホテルに於て 特別通信員社友加藤辰弥 (1)一行皆渋沢男に舌を巻く「何といつても渋沢さんは実にエライ』といふ一語は、…

 1909(明治42)年9月11日(土) 日本での報道「無事到着。一行は米国人の予想外の歓迎に大いに満足」(東京経済雑誌)

『東京経済雑誌』 第60巻第1507号 (1909.09.11) p.502-503 ○渡米実業団のシヤトル歓迎 客月十九日日本を発程したる我渡米実業団は、海上無事、到着期日を一日早めて、九月一日午前日米両国々旗を以て飾られたるシヤトル波止場に上陸し、多数の政治家及び実…

 1909(明治42)年9月6日(月) 早朝にタコマへ移動。水力発電所見学、レーニア山国立公園へ 【滞米第6日】

渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵) 九月六日 晴 冷午前六時頃ヨリ汽車進行ヲ始メ、七時半タコマニ抵ル、八時支度ヲ整ヒ、汽車中ノ寝室ヲ出テ汽車中二テ朝飧ス、汽車タコマヲ過キ森林中ノ停車場ニ抵ル、是ヨリ先キ水力電気工場ヲ一覧ス、弐…

 1909(明治42)年9月6日(月) 100万ドル列車でシアトルを発つ 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日、栄一等一行、渡米実業団のため特に用意されたる「百万弗列車」にてシアトルを発し、タコーマ、ポートランド、ヴァンクーヴァー、スポカン其他の諸市を巡回す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和…

 1909(明治42)年9月5日(日) 特別列車(100万ドル列車) 【滞米第5日】

『竜門雑誌』 第265号 (1910.06) p.49-58 ○青渊先生米国紀行 随行員 増田明六 特別列車の事一行の為めに仕立られたる特別列車は、プールマン会社が一行の為に特に新調に属するものを供給したるものなるが、其美麗なると設備の完全なるには一同孰れも驚きた…

 1909(明治42)年9月5日(日) 「100万ドル列車」に乗車、出発準備 【滞米第5日】

巌谷小波著『新洋行土産. 上巻』(博文館, 1910.03)より汽車のイラスト 渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵) 九月五日 晴 暑午前七時起床、入浴シ、畢テ支度ヲ整ヒ、事務室ニ於テ一行ノ事務ヲ処理ス、八時朝飧ヲ食ス、後此地ノ寺院ニ抵リテ…

 1909(明治42)年9月4日(土) アラスカ・ユーコン太平洋博覧会の日本日(Japan Day) 【滞米第4日】

「シヤトル博覧会内森林館前の実業団」(巌谷小波著『新洋行土産. 上巻』(博文館, 1910.03)巻頭グラビア掲載) 渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵) 九月四日 晴 暑午前七時起床、入浴シ、畢テ支度ヲ整ヒ事務室ニ抵ル、八時朝飧ス、午前十…

 1909(明治42)年9月4日(土) (69歳) 渋沢栄一、アラスカ・ユーコン太平洋博覧会の「日本日」(ジャパン・デー)で演説 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日栄一、シアトル博覧会会場内に催されたる、「日本日」祝賀式に臨み「実業団之使命」と題する演説をなす。同夜栄一、シアトル博覧会及び同商業会議所の主催にて博覧会場内紐育館に催されたる渡米実業団歓迎晩餐会及び政府館内に於けるレセプションに出席…

 1909(明治42)年9月3日(金) 正式の歓迎行事、いよいよ開始 【滞米第3日】

渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵) 九月三日 曇 冷午前六時起床、先ツ入浴シ、畢テ日記ヲ編成ス、八時朝飧ス、九時一行自働車ニテ市外ノ一工場ニ抵リ麦酒醸造ノ工事ヲ見ル、更ニ自働車ニテケントト称スル一村ニ抵リ、牛酪製造工場ヲ一覧シ…

 1909(明治42)年9月2日(木) 消防署見学の後、シアトル領事邸で園遊会。夜は日米合同打ち合わせ 【滞米第2日】

渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵) 九月二日 半晴 冷午前七時起床、入浴シ、畢テ旅館ノ集会室ニ赴キ、本日取扱フヘキ公務及招待ニ関スル事ヲ処理ス、此地到着以来諸方ヨリ報知アリシ祝電ノ事、及当地諸向ヨリノ案内状ニ対シ回答書ヲ発スル…

 1909(明治42)年9月1日(水) 団員一同、贈呈された徽章を佩用 【滞米第1日】

『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.576-582 「太平洋沿岸聯合商業会議所」徽章(「紀念牌及徽章」 (『渡米実業団誌』巻頭折込)掲載) ○第三編 第五章 徽章及び金牌伝献の件 第二節 金剛石入金製徽章 (本書写真版第一頁参照) ○写真版略ス我実業団…

 1909(明治42)年9月1日(水) 総会開催、ニューヨーク滞在日数増加と日程変更を協議 【滞米第1日】

『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.534-537 ○第三編 報告 第一章 滞米日数増加の件 我一行の米国滞在期日に付いては幾多の問題を生じ、成る可く多数の都市を訪問せしめんとする先方の希望と、成る可く時日を短縮し、年末経済事情の多忙なる前に本邦…

 1909(明治42)年9月1日(水) アメリカ初日 【滞米第1日】

「シヤトル港、到着の光景」(巌谷小波著『新洋行土産. 上巻』(博文館, 1910.03)巻頭グラビア掲載) 渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵) 九月一日 晴 冷午前六時起床、入浴シ、畢テ甲板上ニ抵リ、四方ノ山光水容ヲ眺望ス水野・田中及米国…

 1909(明治42)年9月1日(水) (69歳) 渡米実業団、シアトルに上陸し声明書を発表 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日、渡米実業団一行シアトルに上陸す。船中にて歓迎式行はれ、栄一団長として声明書を発表す。三日、シアトル商業会議所の主催にて渡米実業団歓迎晩餐会開かれ、席上栄一、歓迎の辞に対して答辞を述ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁…