「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

オマハ

 1909(明治42)年12月11日(土) 日本での報道「渡米実業団帰途に着く」(東京経済新聞)

『東京経済雑誌』 第60巻第1520号 (1909.12.11) p.1102 ○渡米実業団帰途に着く 去月十四日オマハに於てブライアン氏に邂逅したる我渡米実業団一行は、其夜デンバーに着、是より中野・加藤・南・渡瀬・野田・本田の諸氏は分遣隊としてカリフオルニアに向ひ…

 1909(明治42)年11月20日(土) 日本での報道「渡米実業団消息」(東京経済雑誌)

『東京経済雑誌』 第60巻第1517号 (1909.11.20) p.964-965 ○渡米実業団消息 本月八日インデアナポリスに入りたる我渡米実業団は、十日聖路易に着、各方面の歓迎会に臨み、又各種の銀行・商店及工場を参観し、十一日夜半カンサス市に向ひ、十三日同市着、市…

 1909(明治42)年11月14日(日) 日本への発電「ブライアン氏の演説」(竜門雑誌)

『竜門雑誌』 第259号 (1909.12) p.40-49 △ブライアン氏の演説(デンバー十一月十四日発電) 我実業団一行十三日朝ヲマハに着、知事シヤルレンバーガー・市長デイスルマン氏等の歓迎を受け、直にマツキン新式大電車に乗換へユニオン・パシフイツク鉄道電車…

 1909(明治42)年11月13日(土) 日本への発電「カンサス市の歓迎」(竜門雑誌)

『竜門雑誌』 第259号 (1909.12) p.40-49 米国に於ける 青渊先生の消息(承前)△カンサス市の歓迎(オマハ十一月十三日発電) 十二日カンサス市に到着、直ちに商業倶楽部に於てレセプシヨンあり、次に高等学校にて歓迎式あり、終つてエヴアンストン倶楽部…

 1909(明治42)年11月13日(土) オマハ到着。マッキーン・モーター・カーで鉄道関連設備、車輛製造会社を見学。午後は水道会社等を訪問。夜に商業会議所主催の晩餐会 【滞米第74日】

「オマハ商業会議所」徽章(「紀念牌及徽章」 (『渡米実業団誌』巻頭折込)掲載) 『竜門雑誌』 第273号 (1911.02) p.29-44 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十一月十三日 土曜 (雨)午前七時五十分オマハ市に到着す、前日来降り続ける降雨は今…