「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年10月19日(火) 渋沢団長よりサンフランシスコ商業会議所会頭宛に電報

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.540-542

 ○第三編 報告
     第二章 電信雑輯
十月十九日紐育滞在中、桑港市が震災後に於ける復興を祝せんが為めに催したる、ポルトラ(最初に加州を開拓したる人)祭典を行ひたるにより、団長渋沢男爵の名を以て、同日桑港商業会議所に宛て、左の電報を発したり。
  「予は日本商業会議所を代表し、本日より開始さるべきポルトラ祭の成功を熱望し、併せて貴市が先年の大災害の後ち、再築されたる偉蹟に対して祝意を表す。是等の希望と祝意とは、貴商業会議所を経て、桑港の市民に伝達されたし。貴市の招待は、一行の殊に満足する所にして、団員等は数週間の後に貴市に着し、貴市の着々成功しつゝある偉大なる事業の実跡を、親しく拝見せんことを切望しつゝあり」
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.228掲載)


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