1909-07-01から1ヶ月間の記事一覧
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.605-618 之れ [外務大臣からの訓令] に対して田中シヤトル領事は、折返し七月三十一日附を以て、今回の招待状に名古屋を加へざりし米国側の趣旨は、昨年日本よりの招待に名古屋が加はり居らざりしが為めにして、右…
渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵) 七月三十一日 晴 大暑○上略 二時兜町事務所ニ抵リ、同族会ヲ開キ ○中略 米国行ニ関スル件及留守中ノ要務ヲ談ス、午後六時日本橋倶楽部ニ抵リ、留別ノ為メ親戚ヲ会シ晩飧ヲ共ニス、食卓上一場ノ留別演説ヲ…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.605-618 初め米国よりの正式招待状到着せざる前、今回の招待の件に就いて、既に電報を以て通知を受けたる際、至急準備に取掛るの必要あり、四月十二日、外務大臣は官邸に於いて渋沢男爵・中野会頭、其他京浜間の実…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72 一行の到着に際し、移民及税関簡易通過の儀は、既に先年米国実業家来朝の際に、我政府に於ても、好意を以て其取計ひをなしたることなれば、今回の一行に対しても、米国側が同様の好意を表し、之れに酬ゆる所…
渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵) 七月三十日 晴 大暑○上略 午前十一時外務省ニ抵リ、萩原通商局長ニ面会シテ米国行ニ付行程ノ順序改正ノ事ヲ談ス、岩原謙三氏来会ス、 ○中略 午後兜町事務所ニ抵リ ○中略 堀越善重郎氏来リ、米国行ノ事ヲ…
八十島親徳 日録 1909(明治42)年 (八十島親義氏所蔵) 七月二十七日 晴 九十度○上略午後篤二殿ヨリ電話アリ、男爵ハ予ノ辞退、事情無拠モノト認メ快諾増田明六ヲ召連レラルヽ事ニ決スト、之ニテ一安心セリ ○中略 必要ノ個処ヘハ慢性胃腸カタルノ為、医戒…
『東京日日新聞』 第11719号 (1909.07.27) ○京浜渡米実業家確定東京の渡米実業家の人選は尚一名決定せざりしが、廿六日赤坂興農園主渡瀬寅次郎氏の承諾を得、之にて正賓・専門家全部左の如く確定したるを以て、廿七日午後三時より商業会議所に於て準備会を…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72 七月二十七日に至り、小村外務大臣は紐育駐在水野総領事に対し、今回渡米する実業家を指導し、各地歓迎交歓に対し、主客双方を満足せしむる為め、同行を命ずるに因り、九月初旬実業家のシヤトル着を待受け、…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72 種々協議の結果、七月二十七日に至り、小村外務大臣は小松原文部大臣に対し、[中略] 教育家及び農業者各一名の外、[中略] 医学者一名をも派遣せんことを希望する旨、七月二十五日を以て、文部大臣に照会した…
八十島親徳 日録 1909(明治42)年 (八十島親義氏所蔵) 七月二十六日 晴 炎暑九十度○上略 今朝橋本左武郎氏(佐藤氏ト相談ノ上)ヲ訪ヒ診察ヲ受ク ○中略 偖胸部診察ノ結果、橋本氏ノ診断ハ如左○中略一右ノ次第ナル上ニ、胃弱ノ症状ヲ有スル身体ナレバ、此…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72 [外務大臣は] 又今回の一行は多数なるを以て、教育家及び農業者各一名の外、専門医師の一行に加はるの必要あるのみならず、帝国の医学を先方に紹介し、且つ米国に於て有益なる調査を為すの便利なるが故に、…
八十島親徳 日録 1909(明治42)年 (八十島親義氏所蔵) 七月廿四日 晴暑○上略 出勤後、昼商業会議所ニ至リ、渡米団相談会ニ臨ム、予ハ実ニ渋男ノ随員ナルモ、中野・大橋両氏等ノ好意ニテ、表面上ハ特別調査委員ノ一員ニ加ハル事トナル (『渋沢栄一伝記資…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72 七月二十三日に至り更に小村外務大臣は、一行の希望として又た最後の要求として、一行中には老人婦人も少なからざれば、数千哩の旅行と日々の歓迎には堪へられざる事情もあるに付、主人側に交渉し、成るべく…
『東京日日新聞』 第11715号 (1909.07.23) ○渡米団打合会商業会議所及び其他実業家の渡米団は、二十二日午後五時より浜町日本橋倶楽部に於て第一回の打合会を開けり、来会者は渋沢男・中野会頭、日比谷・佐竹・岩原・根津・左右田金作(横浜)等の諸氏十七…
『東京商業会議所月報』 第2巻第8号 (1909.08) 米国太平洋沿岸聯合商業会議所より、今回更に本邦五商業会議所に対し、左の通り聯含招待状を送致し来れり To the Tokio, Osaka, Kioto, Yokohama and Kobe Chambers of Commerce.Gentlemen : Desiring to giv…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72 七月十五日に至り、小村外務大臣はシヤトル田中領事を経て、先きに渡米したる東洋通報社の頭本元貞氏に対し、一行がシヤトル到着の時を見計らひ、一行に加はりて、公式演説の起草及び通訳を担当すること、及…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72 七月十四日、米国側特別準備委員会は、本邦実業家が経由すべき米国各都市の商業会議所に宛て、左の通牒を発したり。右は能く我実業家の渡米に関する、米国側の準備と期待せる所とを表示するものにして且つ如…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72 七月九日に至り、田中領事より外務大臣宛七月九日付報告到達す。右に因れば、米国政府に於ても、我実業家一行に、相当なる国務省の官吏と、其他の各省より選抜したる専門家五名を同行せしむべく、尚ほ主人側…
八十島親徳 日録 1909(明治42)年 (八十島親義氏所蔵) 七月八日 雨朝王子ニ至ル、堀越夫妻ト会シ、渡米着衣其他打合ノ為也、婦人ハスベテ盛装ノ場合ハ日本服着用、道中着ニノミ洋服ヲ用フル事ニ決ス (『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.40-41掲載)
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72 右 [1909年7月7日の米国側の希望] に対し外務大臣は、七月八日を以て、本邦側に於ては、教育家派遣に対しては、大体に於て之れを承諾し、尚ほ当方の希望として、十分の資格ある新聞経営者一両名を加へたき旨…
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72 七月七日、米国側にては、我実業家一行が、日本第一流の教育家一両名を同行することを希望する旨、シヤトル領事より来電あり。 (『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.28掲載)
八十島親徳 日録 1909(明治42)年 (八十島親義氏所蔵) 七月六日 曇○上略堀越善重郎氏夫妻モ、男爵ノ推薦ニ依リ、米国行ノ行ニ加ハル事ニ決ス ○下略 (『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.40-41掲載)
『時事新報』 第9257号 (1909.07.07) 実業家渡米期 八月十九日横浜出帆渡米実業家中の正賓十五名の人選に関し、五日午後一時より東京商業会議所に於て渋沢男・中野・大橋・日比谷(東京)土居・中橋(大阪)西村(京都)岡田(横浜)並に萩原通商局長等の…