「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年10月18日(月) この日より21日までは自由行動、各自随意に視察研究 【滞米第48日】

竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.44-51

    ○青渊先生米国紀行(続)
         随行員 増田明六

十月十八日 月曜日 (晴)
本日以後廿一日迄は定められたる日程とては無く、一行随意の行動に委せられたれば、青渊先生には終日在宿せられて、来訪日本人に接し且信書を認められたり、工学士神田礼治氏は、スポケーン市に於て開会せられたる万国鉱業会大会に出席の帰途、米国各地鉱山視察の序、又工学士新家孝正氏は米欧の建築業視察の途に在り、前後して先生を訪問せられたり
午後七時、青渊先生には森村組新井領一郎・村井保固両氏の饗応にて日本倶楽部に到り、同十二時帰宿せられたり
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.221掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.249-263

 ○第一編 第六章 回覧日誌 東部の下
     第一節 紐育市
十月十八日 (月) 晴
紐育市、其他在留日本人等の公式歓迎会は既に終りたることゝて、本日よりは各自随意に視察研究の事とせり。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.227掲載)


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