「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

1909-10-15から1日間の記事一覧

 1909(明治42)年10月15日(金) 日本での報道「我渡米実業団の一行に如斯奇談あり」(実業之日本)

『実業之日本』 第12巻第22号 (1909.10.15) p.4-12 我渡米実業団の一行に如斯奇談あり 九月十四日、シヤトルの日本実業団旅館 華盛頓ホテルに於て 特別通信員社友加藤辰弥 (1)一行皆渋沢男に舌を巻く「何といつても渋沢さんは実にエライ』といふ一語は、…

 1909(明治42)年10月15日(金) 昼はハドソン川・イースト川より沿岸を視察、夜は在ニューヨーク領事主催晩餐会。渋沢栄一は風邪のため晩餐会のみ出席 【滞米第45日】

『竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.44-51 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十月十五日 金曜日 (晴寒風強)午前十時より紐育商人協会の案内にて、西四十二丁目の波止場より汽船に乗じてハドソン河を下り、港内の状況、水陸連絡の状態を視察し夫よ…