今日の栄一
是日栄一、アメリカ合衆国人ウィリアム・イー・グリフィスの死去を悼み、阪谷芳郎と連名にて、同夫人に弔電を発す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 7節 其…
是日 [1923(大正12)年12月3日] 栄一、アメリカ合衆国ポートランド市ダグラス樅材伐採輸出株式会社代表者オー・エム・クラーク等を、飛鳥山邸に招きて午餐会を催す。次いで七日、明治四十二年渡米実業団主催の歓迎晩餐会、芝紅葉館に開かれ、栄一出席す。翌…
是日、明治四十二年渡米実業団員主催、アメリカ合衆国議員団一行歓迎会、芝紅葉館に開かれ、栄一出席して歓迎の辞を述ぶ。是より先同月三日、貴族院議長徳川家達・衆議院議長奥繁三郎主催、同議員団招待午餐会帝国ホテルに開かれ、栄一出席す。又同月十一日…
是日 [1919年2月3日]、浜町常盤屋に於て、東京帽子株式会社主催、栄一の八十寿祝賀会開かる。次いで二十四日、同所に於て、旧渡米実業団員主催の祝賀会開かる。栄一、それぞれ出席す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 …
是日栄一、アメリカ合衆国シカゴ大学教授ジェー・ピー・グードを案内して、日本女子大学校を参観せしめ、後、飛鳥山邸に招きて午餐会を催す。翌四日清水満之助主催の招待午餐会、上野精養軒に開かれ、栄一臨席す。同日午後、小池国三主催の招待観能会、靖国…
渡米実業団残務整理委員編纂の「渡米実業団誌」是日付を以て発行せらる。栄一、宮内省に出頭して献納の手続をなす。十二月二十四日附を以て宮内大臣より、御前に差上ぐ旨の通達を受く。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 …
是日、渡米実業団第一回記念会、名古屋市に開催せらる。栄一出席す。爾後毎年記念会開催され栄一出席す。特に大正六年九月二十四日渡米実業団員中物故者追悼法会を上野寛永寺に営み、栄一弔辞を述ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ…
是日外務大臣伯爵小村寿太郎、栄一以下旧渡米実業団員一同を招きて帰朝歓迎晩餐会を其官舎に開く。内閣総理大臣侯爵桂太郎・農商務大臣男爵大浦兼武臨席、外務・総理両大臣の演説あり、栄一答辞を述ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並…
是日栄一、東京銀行倶楽部に於て開かれたる、当行第二十七期定時株主総会及び臨時株主総会に出席して議事を司宰し、同期業務報告の外、韓国に於ける当行業務引継の経過を報告し、更に昨秋渡米実業団長として渡米せる経緯を報告す。 出典:『渋沢栄一伝記資料…
栄一、明治四十二年八月十九日渡米実業団を率いて渡米し、十二月十七日帰国す。是日栄一、交詢社に於て開かれたる当協会招待会に出席し、米国旅行談をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1…
是日栄一、当校に於て生徒に対し、渡米中の所感を述ぶ。同夕、上野精養軒に於て開かれたる当校職員並に同窓会主催の渋沢・神田両男爵帰国歓迎晩餐会に出席して演説をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年…
是日 [1910年1月10日] 並に三月二十八日、渡米実業団残務整理委員会開催せられ、栄一出席す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 1節 外遊 / 1款 渡米実業団 …
是日付を以て、渡米実業団より、アメリカ合衆国各地の商業団体等に対し、感謝状を贈る。栄一之が起草をなし、且団員一同と共に自署す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章…
是日栄一、宮内大臣公爵岩倉具定に面会し、先にアメリカ合衆国造幣局長より託されたる金牌、及び同国太平洋沿岸聯合商業会議所より託されたる金剛石入徽章を伝献す。翌四十三年一月五日嘉納の旨通達あり、仍て十四日之を米国の関係者に通知す。 出典:『渋沢…
是日、東京高等商業学校講堂に於て東京市第九回講演会開催せられ、栄一之に臨みアメリカ旅行談をなす。爾後翌四十三年一月十七日日本橋倶楽部月次会、同月二十二日東京高等商業学校、歓迎会同月二十七日自治協会招待会、二月二十二日第四回議員銀行家連合懇…
是月十七日、栄一を団長とする渡米実業団帰国す。当協会、富士見軒に於て、十二月例会を兼ね栄一の歓迎会を開催す。栄一出席して演説をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業…
是日、銀行倶楽部に於て当交換所及び東京銀行集会所・銀行倶楽部・東京興信所四団体主催による、渡米実業団京浜団員帰国歓迎会開かる。栄一出席して演説をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 …
是日、日本貿易協会主催渡米実業団帰朝歓迎会、同協会に開かれ、副会頭池田謙三の歓迎の辞に対し栄一謝辞を述ぶ。同じく是日東京商業会議所主催同所選出渡米実業団員帰朝歓迎会、日本橋倶楽部に催さる。次いで二十日東京銀行集会所等主催京浜間在住渡米実業…
是日栄一、渡米実業団を率ゐて横浜に上陸し、直に東京に入り、宮内省に出頭し、宮内大臣を経て帰朝の旨を奏上す。午後、東京外五商業会議所聯合会主催同団帰朝歓迎式、東京商業会議所に催さる。外務大臣伯爵小村寿太郎・農商務大臣男爵大浦兼武の祝辞に対し…
是日栄一等渡米実業団一行、サン・フランシスコを発して帰航の途に就くに当り、接伴委員、カリフォルニア州知事及び同地在留の日本人等を船中に招きて留別の宴を開く。十二月六日ホノルルを訪ひ、同日横浜に向つて発す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社…
是日栄一等渡米実業団一行、サン・フランシスコに着す。同日及び二十九日、栄一及び日本六商業会議所代表者等、アメリカ合衆国太平洋沿岸各商業会議所代表者と相会し、両者協力して貿易の増進拡張を図らんことを決議す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社…
是日栄一等渡米実業団一行、ワシントンを発し、ピッツバーグ、セント・ルイス、カンザス、サクラメントを経て、十九日ロス・アンジェルスに入り、二十一日同地を発しサン・ディエゴを経て、二十四日オークランドに向ふ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社…
是日栄一、渡米実業団の団長として、アメリカ合衆国内を旅行中、スプリング・フィールドに於て、伊藤博文遭難逝去の報に接す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 3部 身辺 / 5章 交遊 / 2 伊藤博…
是日栄一等渡米実業団一行、ニュー・ヨークを発し、二十三日ボストンに着し、三日間滞在、其間二十四日にはニューポートのペリの墓に詣づ。二十六日ボストンを発し、ウースター及びスプリングフィールドを訪ふ。二十八日フィラデルフィアに入り、三日間滞在…
是日、栄一等渡米実業団一行、ニュー・ヨーク市に入り二十一日まで滞在す。十月二十日、タウンゼンド・ハリスの墓に詣づ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / …
是日、栄一等渡米実業団一行、セント・ポールに入る。次いでシカゴ、クリーヴランド、其他の都市を巡回して、十月十一日ニュー・ヨークに向ふ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事…
是日渡米実業団一行ミネアポリスに入る。同日、其近郊ミネトンカ湖畔ラファイエット倶楽部に到り、大統領ウィリアム・タフトに会見し、後、午餐を共にす。栄一此の席上演説をなす。二十日、同市商業会議所の歓迎会に臨み、次いでミネソタ州立大学等を参観す…
是日栄一、渡米実業団団長として一行と共に、アメリカ合衆国ファーゴ及びグランドフォークに到り、農事試験場・農学校及び農場を見学視察す。二十二日、マディソンに到り、ウィスコンシン大学を訪問、同学農科大学を参観す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編…
是日、栄一等一行、渡米実業団のため特に用意されたる「百万弗列車」にてシアトルを発し、タコーマ、ポートランド、ヴァンクーヴァー、スポカン其他の諸市を巡回す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和…
是日栄一、シアトル博覧会会場内に催されたる、「日本日」祝賀式に臨み「実業団之使命」と題する演説をなす。同夜栄一、シアトル博覧会及び同商業会議所の主催にて博覧会場内紐育館に催されたる渡米実業団歓迎晩餐会及び政府館内に於けるレセプションに出席…