「渡米実業団」日録

情報資源センター・ブログ別館

 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

ボストン

 1909(明治42)年10月25日(月) 日本への発電「別報」(竜門雑誌)

『竜門雑誌』 第258号 (1909.11) p.43-46 △別報(ボストン十月二十五日発電) 渋沢男外数名は、ニユーポートなるペルリ提督の墓に詣でし為め、米人等は大満足なり、新聞紙亦大いに之を賞揚せり、南・原両氏及び其他数名は加奈陀に行きて、官民より予想外の…

 1909(明治42)年10月25日(月) 日本への発電「ペルリ提督の墓に詣づ」(竜門雑誌)

『竜門雑誌』 第258号 (1909.11) p.43-46 △ペルリ提督の墓に詣づ(ボストン十月二十五日発電) 我実業家一行は二十四日(二十五日?)午後雨天なりしも、雨を侵して渋沢団長を始め、中野・頭本・巌谷・加藤・ローマンの六氏ニユーポートに赴き、ペルリ提督…

 1909(明治42)年10月25日(月) ゼネラルエレクトリック社、紡績会社(ローレンス)、女子大学等を見学。夜は平和協会の晩餐会、観劇 【滞米第55日】

『竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.51-65 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十月廿五日 月曜日 (曇)此日は一行二隊に分れ、甲はゼネラル電気会社分工場・製靴会社を見物し、乙はローレンスに於ける紡績会社を見物する都合なりしが、青渊先生には…

 1909(明治42)年10月24日(日) 日本への発電「工場・学校の参観」(竜門雑誌)

『竜門雑誌』 第258号 (1909.11) p.43-46 △工場・学校の参観(ボストン十月二十四日発電) 我実業家一行は二十三日午前二隊に分れ、ウオルサム時計製造所及びフオール・リバー造船所を参観し、午後は一同ハーバート大学を訪ひ、総長代理書記官グリーン氏・…

 1909(明治42)年10月24日(日) カナダ分遣隊、ボストンに帰着 【滞米第54日】

『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.264-282 ○第一編 第六章 回覧日誌 東部の下 附記 加奈陀分遣隊記事 (田村新吉氏稿) 十月廿四日午前八時半ボストン市着、パーカー・ホテルに於て本団に会す。但し田村氏は独り加奈陀に留り、追而米国西部にて一行…

 1909(明治42)年10月24日(日) 巌谷小波「ニューポートの雨の一日」(『太陽』第16巻第1号)

『太陽』 第16巻第1号 (1911.01) p.197-200 ニユーポートの雨の一日 (ペリー提督の墓を訪ふの記) 巌谷小波 千九百〇九年十月廿四日は、恰も安息日であつた。即ち永へに天国に安息しつゝある、我が日東洲開国の恩人たる提督ペリーの墓を弔ふべく、否、寧…

 1909(明治42)年10月24日(日) 渋沢栄一ほか4名、ペリー墓参のためニューポートへ。夕方よりジャパンソサエティー、浪速倶楽部合同開催のレセプション 【滞米第54日】

『竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.51-65 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十月廿四日 日曜日 (雨)此日青渊先生には中野・頭本・巌谷・ローマンの諸氏等と共に、午前八時出発、汽車にてロード・アイランド州ニユーポート市に在る、ペリー提督の…

 1909(明治42)年10月23日(土) ボストン到着。フォアリバー造船所、ウォルサム時計会社、ハーバード大学などを見学。晩餐会ではモースらによる歓迎の辞 【滞米第53日】

『竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.51-65 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 [10月]廿三日 土曜日 (曇)午前六時半ボストン市に向て発車、同八時到着、朝食の後一行は二隊に分れ、甲はフオーアリバー造船処参観、乙はウオルサム時計会社参観なり青…