「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年10月17日(日) 東京高等商業学校同窓会の歓迎会や日本人共済会の秋季大会(カーネギーホール)などに出席。夜は渋沢栄一夫妻主催による招待会開催 【滞米第47日】

竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.44-51

    ○青渊先生米国紀行(続)
         随行員 増田明六
十月十七日 日曜日 (晴)
午前十時より青渊先生には中野武営氏及一行中の同会員と共に、東京高等商業学校同窓会紐育支部の歓迎会に臨まれたり、出席者は一行中にては
  青渊先生―中野武営―堀越善重郎―飯田旗郎―加藤辰弥―上田碩三―増田明六の諸氏にして又同支部にては
  福井菊三郎(物産)岩下清朝(同上)山内健吉(正金)太田原一佐(大倉組)与田作造(正金)岡山友助(森村新井組)尾上重吉・大貫忠一(両氏とも物産)中村普二郎(野沢組)田中教太郎(物産)井上熊三郎(京都商工)松島泰夫(正金)水野和雄(森村組)岡本光蔵(プラウン・ウヰリアム・バンク)村田伊之助(日本製茶)井上信(物産)服部保二郎(同)芝田孫二郎(正金)田島繁之(物産)一宮銀生(同)高岡直次郎(堀越)吉田初郎(物産)中井長三郎(正金)川口盤夫(日本製茶)平田保太郎(森村)金原東造(森村新井)幹事、津田微(高田)同、三上孝司(同)同[、] 山崎馨一(紐育副領事)
  外に旧講師河合勇の諸氏なり
支部長福井菊三郎氏の歓迎の辞に、次き中野武営氏及青渊先生の演説ありたり、右畢て午後三時青渊先生には中野・石橋・巌谷の三氏等と共に、カーネギー・ホールに於て開催せられたる日本人共済会秋季大会に出席せらる、会長高見氏の演説、油谷・福富両氏の事業及会計報告、今西氏・石橋氏・巌谷氏・中野氏の演説あり、最後に青渊先生は起ちて、異邦に在りて多数の日本人諸君と一堂に会したるは、無上の悦なる上に、是迄は到る処として通訳に依りて為したる演説も、本日は日本語を以て自由に述るを得るを悦ふ、人は如何なる主義方針を持つべき哉は至難の問題なるが、諸君は母国を去るに先ち必ず一の主義方針を有するならんと信ず、人は栄達を目的となすは勿論なるべきも己れ独り栄達すれば可なりとは、野蛮時代の事にして、世の進歩と共に己れ一身を主義とする事能はざる事を知らざるべからず、己の栄達を謀ると共に、国家の栄達を謀る事に顧慮せざる者は、野蛮の域を脱せざるものの行為なりと云ふべし、蓋し国家は個人の集合体なれはなり、於是か仁義道徳の必要起るなり、仁義道徳の解釈は韓退之の原道に於て、博愛之謂仁、行而宜之之謂義、由是而之焉之謂道、足乎己無待於外之謂徳と在りて、此仁義道徳なるものは己一身に帰する者にあらず、惹て国家に及ほすべき者なり、諸君は此意を以て自己の栄達を計ると共に、母国を顧慮せざるべからず、然る時は以て国光を発輝すべし、以て栄達する事を得べきなり云々と訓戒の演説を為し、五時解散帰宿せられ、午後七時より先生及同令夫人主催の同行外国人及各地商業会議所会頭招待会を、セルモニコ・ホテルに於て開会せらる、出席者は
同行外国人
  ローマン氏  同令夫人        オスボーン氏
  クラーク氏  同令夫人        ストルマン氏
  ハイド氏   ムーア氏         グリーン氏
  エリオツト氏 ローゼンバーガー氏 パックハム氏 グード氏
日本人側
  中野武営氏 土居通夫氏 西村治兵衛氏 大谷嘉兵衛氏 松方幸次郎氏 上遠野富之助氏 日比谷平左衛門氏 水野幸吉氏 同令夫人 神田乃武氏 同令夫人 頭本元貞氏 堀越善重郎氏 岩原謙三氏 山崎馨一氏(紐育副領事) 巌谷季雄氏
の諸氏にして、青渊先生の挨拶に次きて、外国人側代表者ローマン氏日本人側代表の中野武営氏の謝辞あり、午後十二時解散せられたり
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.220-221掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.249-263

 ○第一編 第六章 回覧日誌 東部の下
     第一節 紐育市
十月十七日 (日) 晴
午前より午後にかけて、一同随意に各方面の見物に向ふ。午後三時半よりは、カーネギー・ホールに於て、日本人共済会の秋季大会あり。席上石橋・巌谷・中野諸氏、及渋沢男等の演説あり。夕景散会す。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.226-227掲載)


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