「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年7月9日(金) シアトル領事より外務大臣へ、現地からの要望について報告

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72

七月九日に至り、田中領事より外務大臣宛七月九日付報告到達す。右に因れば、米国政府に於ても、我実業家一行に、相当なる国務省の官吏と、其他の各省より選抜したる専門家五名を同行せしむべく、尚ほ主人側たる太平洋岸商業会議所より、各一名、即ち総計八名の代表者を選出し、相交代して一行に随伴し、種々斡旋せしむることゝ決定したるを報じ、米国主人側にては、渡米実業家が成るべく夫人を同行することを希望し、而して夫人は必らずしも洋装を要せず、寧ろ和服の方一般に気受け宜しかるべく、随行者は数名を限り差支なき事、尚ほ米国政府より相当の官吏を同行せしむるに就いては、本邦よりも、外務省若くは農商務省より、相当の官吏一両名同行し、諸事を斡旋処理せしむることゝなしたしとの、先方の希望を述べ、尚ほ渡米実業家の小伝、予め送付方を稟請し来れり。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.28掲載)