「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年7月31日(土) シアトル領事より、名古屋商業会議所の件について回答

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.605-618

之れ [外務大臣からの訓令] に対して田中シヤトル領事は、折返し七月三十一日附を以て、今回の招待状に名古屋を加へざりし米国側の趣旨は、昨年日本よりの招待に名古屋が加はり居らざりしが為めにして、右は形式上の問題に過ぎず。米国側の希望は、招待の区域を東京以下五商業会議所に限るの意味毛頭これなく、要は商業会議所の推選に因り、日本全国の有力なる代表的実業家三十名の渡米を望むに外ならざるを以て、名古屋の如き有力なる大都府より代表者を送らるゝことは、米国側に於ても切望する次第なるのみならず、若し名古屋以外に於ても帝国政府に於て適当と認むる都市あらば、是れ亦代表者を送られんことを希望する旨回答あり。結局形式を満足せしむる為め、名古屋商業会議所へも、更に特別招待状を米国側より発送すべきことに決定したるも、右は郵送の余日なきを以て、予じめ之れを準備し置き、実業家の一行がシヤトル著の際、名古屋選出の実業家に交附するやう協定済となれり。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.37-38掲載)