「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年7月27日(火) 「増田明六を召し連れらるる事に決す」

十島親徳 日録 1909(明治42)年 (八十島親義氏所蔵)

七月二十七日 晴 九十度
○上略
午後篤二殿ヨリ電話アリ、男爵ハ予ノ辞退、事情無拠モノト認メ快諾増田明六ヲ召連レラルヽ事ニ決スト、之ニテ一安心セリ ○中略 必要ノ個処ヘハ慢性胃腸カタルノ為、医戒ニヨリ随行辞退ノ旨ヲ披露ス
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.42掲載)