「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年7月23日(金) 外務大臣、旅程の短縮等について各領事に訓令

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72

七月二十三日に至り更に小村外務大臣は、一行の希望として又た最後の要求として、一行中には老人婦人も少なからざれば、数千哩の旅行と日々の歓迎には堪へられざる事情もあるに付、主人側に交渉し、成るべく其旅程を短縮すべき旨、又歴訪各地の商業貿易関係等に就いて参考とすべきことは、各地方管轄帝国領事に於て、予め之れを取調べ置き、一行が各地到着前に、之れを一読し得るやうに手配し置くべき旨、各領事に訓令したり。
之れに対し、田中領事よりは種々交渉を重ねたるも、[中略] 此変更をなさんとする時は、更に諸方に交渉するの必要もあり、多大の時日を要し、間に合はざるの虞あるに因つて、途中の道程は凡て他より之れを変更すべからず、若し濫りに之れを省略する時は、米国は地方的観念と、都市的競争の盛んなる国柄とて、甚だ面白からざる結果を生ずべく、殊に米国の真価値は東部に在りて、寧ろ太平洋岸にあらざるを以て、東部を棄て他を観察するとも、実際に於ける効果少なかるべし。因て是非予定線路に由るの外、今日に於ては致方なし。尤も歓迎省略の如き先方に於ても十分に心得居る故、賓客を疲労迷惑せしめざるやうには十分に注意すべきに付き、其辺は安心あるべく、又た医者・従者其他旅行の愉快便利に必要なるもの、出来る丈け便宜随行せしめて差支なき旨を返答し来たれり。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.28掲載)