「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年7月25日(日) 外務大臣、専門医師の同行について文部大臣に照会

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72

[外務大臣は] 又今回の一行は多数なるを以て、教育家及び農業者各一名の外、専門医師の一行に加はるの必要あるのみならず、帝国の医学を先方に紹介し、且つ米国に於て有益なる調査を為すの便利なるが故に、医学者一名をも派遣せんことを希望する旨、七月二十五日を以て、文部大臣に照会したるに、文部大臣は之に賛成し、其結果東北大学教授農学博士南鷹次郎 学習院教授兼東京高等商業学校教授男爵神田乃武及び東京帝国大学医科大学助教授医学士熊谷岱蔵の三氏、派遣を命ぜられたり。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.30掲載)