「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年7月27日(火) 報道『東京日日新聞』第11719号(1909.07.27)

東京日日新聞』 第11719号 (1909.07.27)

    ○京浜渡米実業家確定
東京の渡米実業家の人選は尚一名決定せざりしが、廿六日赤坂興農園主渡瀬寅次郎氏の承諾を得、之にて正賓・専門家全部左の如く確定したるを以て、廿七日午後三時より商業会議所に於て準備会を開く由
渋沢男爵・中野武営・日比谷平左衛門・佐竹作太郎・岩原謙三・根津嘉一郎(以上正賓)堀越善重郎(貿易業)小池国三(株式仲買)高辻奈良造(紡績業)町田徳之助(糸商)渡瀬寅次郎(園芸業)原林之助(硝子業)(以上専門家)
尚ほ横浜商業会議所会頭小野光景氏は、病気の為め渡米する能はざるより、断然会頭を辞し、後任に大谷嘉兵衛氏を推薦し、左右田金作氏と共に渡米せんことを発議したるも、大谷氏は英国に渡航する内意もあり、之を容れざりしが、会議所役員其他の再三の勧奨に応じ、渡米すべき旨会議所に回答あり、会議所は緊急役員会を開きて、小野氏の辞任を承認するに決し、廿八日の総会に於て、正式に決定することとなりたりと云ふ
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.44掲載)