「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

1909-07-25から1日間の記事一覧

 1909(明治42)年7月25日(日) 八十島親徳、渡米を辞退

八十島親徳 日録 1909(明治42)年 (八十島親義氏所蔵) 七月二十六日 晴 炎暑九十度○上略 今朝橋本左武郎氏(佐藤氏ト相談ノ上)ヲ訪ヒ診察ヲ受ク ○中略 偖胸部診察ノ結果、橋本氏ノ診断ハ如左○中略一右ノ次第ナル上ニ、胃弱ノ症状ヲ有スル身体ナレバ、此…

 1909(明治42)年7月25日(日) 外務大臣、専門医師の同行について文部大臣に照会

『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.14-72 [外務大臣は] 又今回の一行は多数なるを以て、教育家及び農業者各一名の外、専門医師の一行に加はるの必要あるのみならず、帝国の医学を先方に紹介し、且つ米国に於て有益なる調査を為すの便利なるが故に、…