「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年9月11日(土) 日本での報道「無事到着。一行は米国人の予想外の歓迎に大いに満足」(東京経済雑誌)

東京経済雑誌』 第60巻第1507号 (1909.09.11) p.502-503

    ○渡米実業団のシヤトル歓迎
客月十九日日本を発程したる我渡米実業団は、海上無事、到着期日を一日早めて、九月一日午前日米両国々旗を以て飾られたるシヤトル波止場に上陸し、多数の政治家及び実業家の出迎を受け、華盛頓州知事ヘイ氏、シヤトル市長ミラー氏並に太平洋沿岸八商業会議所代表者ローマン氏、外両三氏の歓迎辞、実業団の答辞あり、終つて自働車に乗じて華盛頓ホテルに入れり、一行は五日間シヤトルに滞在したが、三日シヤトル商業会議所の催に係るレーニヤ倶楽部の晩餐会は公式招待の第一回にして、席長バーク氏、ワシントン州選出上院議員ビレス氏接待委員長ブレン氏等の演説あり、渋沢男・中野氏・松方氏等の答辞あり、主客互に我天皇陛下並に米国大統領閣下の万歳を唱へ、目立ちたる盛会なりし、翌四日は同市に開設せられたるアラスカ・ウーコン太平洋博覧会の「日本日」に相当せるを以て、一行は同会場に赴きて市民の歓迎を受け、更に会場内の歓迎会に臨みたるに、桑港のキヤプテン・ダラー氏及びカリフオルニヤ州各商業会議所の代表者の歓迎文朗読あり、次で同場内に演説会の催ありて、渋沢男爵の演説ありしに聴衆数千人に達し、又同夜は嘗て我国に遊びたる貴女紳士の主催に係る晩餐会あり、是れ亦数百人の来会者あり、会後更に大夜会開き盛会を極めたり、斯くて六日朝一行はシヤトルを辞してタコマに赴きたるが、米国人の熱誠罩めたる歓迎は、一行の予想外とする所にして、大に満足せりとの事なり
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.95掲載)


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