「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年9月5日(日) 特別列車(100万ドル列車) 【滞米第5日】

竜門雑誌』 第265号 (1910.06) p.49-58

    ○青渊先生米国紀行
         随行員 増田明六
特別列車の事
一行の為めに仕立られたる特別列車は、プールマン会社が一行の為に特に新調に属するものを供給したるものなるが、其美麗なると設備の完全なるには一同孰れも驚きたる程にて、先づ先頭に汽関車が二輛、荷物車が二輛、食堂車一輛、次いで寝台車が七輛、総計十二輛より成り、各車共日本の夫れよりは頗る長大なれば、総延長一町半位もあらんかと思はれたり、而して一寝台車は十室に別たれ、一室二人の寝台を出来し、一隅には洗面処、一隅には便所の備付あり、電灯三個は各室毎に必要に応じて点火せらるゝ仕組なり、此内最後の一車は観覧車と唱ひて、車中に居ながら四辺の景気を眺望することを得、又食堂車に接する寝台車は、日中に於ては事務用及集会用として使用するに適する装置に用意せられたり、一行は此列車を本陣として三ケ月間乗換の心配もなく米国内を旅行する事を得るなり、如何に一行を優遇するの鄭重なるかを悟らしめたり。
特別列車に一行と共に乗組みたる米国人側委員
 委員長ローマン氏  シヤトル市商業会議所会頭
  太平洋沿岸聯合商業会議所会頭にして、我一行の接待委員長なり
 委員 ハイド氏  タコマ市商業会議所代表者
  食料品に関する案内担任
 同 ストルマン氏  桑港市同上
  機械に関する同上
 同 クラーク氏  ポートランド市同上
  建築業・造船業・粘土工業に関する同上
 同 ヲスボーン氏  ロスアンゲルス市同上
  雑貨業・商業会議所事務に関する同上
 同 ムーア氏  スポケーン市同上
  市制・運輸業・市街鉄道に関する同上
 同 グリーン氏  満洲ハルピン領事にして米国々務省派遣
  絹綿糸貿易に関する同上
 同 ヱリオツト氏  米国商工務省派遣
  新聞業・関税に関する同上
 同 グード氏  シカゴ大学教授・博士・米国商工務省派遣
  教育・医学に関する同上
 同 ギルマン氏  ウヰスコンシン大学教授・博士[・]ミルウオーキー、セントポールミネアポリス及デルース諸市商業会議所代表者
  銀行・株式取引所に関する同上
 同 マンス氏  シカゴ、デスモインス及オマハノ各市商業会議所代表者
  農業・園芸・肥料・車輛製造・電力・倉庫等の案内者
 同 ローゼンバーグ氏  バツフアロー商業会議所代表者にして、紐育洲西北部を代表す
  建築業・造船・電力に関する同上
 同 フランシス氏  セントルイス及カンサス市商業会議所代表者
  ミゾリー州前知事にしてセント・ルイス博覧会総裁たりし人なり
右の外婦人書記二名と、我一行の雇入れたる書記邦人二名・米国人一名と、此列車の機関師一名・火夫一名と監督二名、各車に一名宛のボーイ(黒人)とコツク及ウヱーター十名、荷物掛一名とが一行の外の乗組員なり。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.103-104掲載)


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