「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年10月25日(月) ゼネラルエレクトリック社、紡績会社(ローレンス)、女子大学等を見学。夜は平和協会の晩餐会、観劇 【滞米第55日】

竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.51-65

    ○青渊先生米国紀行(続)
         随行員 増田明六
十月廿五日 月曜日 (曇)
此日は一行二隊に分れ、甲はゼネラル電気会社分工場・製靴会社を見物し、乙はローレンスに於ける紡績会社を見物する都合なりしが、青渊先生には乙に参加して、会社・工場を見物せられ、同社にて午餐の饗を受け、午後も各工場作業の状態を視察して、五時ボストン市に帰られ、同六時米国平和協会の晩餐会に招かれ、終りて一行と共にオリンピツク劇場に案内され、十一時特別列車に搭ず
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.239掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.282-330

 ○第一編 第六章 回覧日誌 東部の下
     第六節 ボストン市
十月二十五日 (月) 曇
午前八時四十五分、歓迎委員嚮導の下に自働車に分乗し、二隊に分れて各所を見物す。第一隊はブラオン氏の案内にて、先づ「ゼネラル」電気会社分工場に至り、同所場を巡覧す(但しスケネクタデイの本社にて見ざる処のものなり)次て製靴会社を見物し、正午自働車にてビーバリーに向ふ。(同地にはタフト氏の夏期別荘あり)製靴機械会社にて午餐の饗応を受け、其工場を見物し、それより海岸景勝の地を見物して、夕刻ホテルに帰る。第二隊はロックウード氏の案内にて、先づローレンスに於ける紡績会社を見物し、同社にて午餐を饗せらる。午後も各工場各所等を視察し、四時五十分特別列車にてボストン市に帰る。今夜は米国平和協会主人となりて、日本平和協会員として、若くは平和事業に貢献ある渋沢男・中野氏・佐竹氏・渡瀬氏・神田男・頭本氏等を招待し、ホテル内に小晩餐会を開く。尚今夕は一同オリンピック劇場に案内され、後列車に帰る。委員オスボーン氏、本日午後二時ロスアンゲルスに向つて帰る。
婦人の部 午前十時半出迎の自働車にて、シンモンス大学を訪ひ、零時半ウェルレスレー女子大学に於て午餐を饗せられ、終りて同大学を参観し、午後四時同ホテルに帰る。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.252掲載)


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