『竜門雑誌』 第270号 (1910.11) p.51-65
○青渊先生米国紀行(続)
随行員 増田明六
十月廿五日 月曜日 (曇)
此日は一行二隊に分れ、甲はゼネラル電気会社分工場・製靴会社を見物し、乙はローレンスに於ける紡績会社を見物する都合なりしが、青渊先生には乙に参加して、会社・工場を見物せられ、同社にて午餐の饗を受け、午後も各工場作業の状態を視察して、五時ボストン市に帰られ、同六時米国平和協会の晩餐会に招かれ、終りて一行と共にオリンピツク劇場に案内され、十一時特別列車に搭ず
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.239掲載)
『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.282-330
○第一編 第六章 回覧日誌 東部の下
第六節 ボストン市
十月二十五日 (月) 曇
午前八時四十五分、歓迎委員嚮導の下に自働車に分乗し、二隊に分れて各所を見物す。第一隊はブラオン氏の案内にて、先づ「ゼネラル」電気会社分工場に至り、同所場を巡覧す(但しスケネクタデイの本社にて見ざる処のものなり)次て製靴会社を見物し、正午自働車にてビーバリーに向ふ。(同地にはタフト氏の夏期別荘あり)製靴機械会社にて午餐の饗応を受け、其工場を見物し、それより海岸景勝の地を見物して、夕刻ホテルに帰る。第二隊はロックウード氏の案内にて、先づローレンスに於ける紡績会社を見物し、同社にて午餐を饗せらる。午後も各工場各所等を視察し、四時五十分特別列車にてボストン市に帰る。今夜は米国平和協会主人となりて、日本平和協会員として、若くは平和事業に貢献ある渋沢男・中野氏・佐竹氏・渡瀬氏・神田男・頭本氏等を招待し、ホテル内に小晩餐会を開く。尚今夕は一同オリンピック劇場に案内され、後列車に帰る。委員オスボーン氏、本日午後二時ロスアンゲルスに向つて帰る。
婦人の部 午前十時半出迎の自働車にて、シンモンス大学を訪ひ、零時半ウェルレスレー女子大学に於て午餐を饗せられ、終りて同大学を参観し、午後四時同ホテルに帰る。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.252掲載)