「渡米実業団」日録

情報資源センター・ブログ別館

 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

今日の栄一

 1909(明治42)年9月1日(水) (69歳) 渡米実業団、シアトルに上陸し声明書を発表 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日、渡米実業団一行シアトルに上陸す。船中にて歓迎式行はれ、栄一団長として声明書を発表す。三日、シアトル商業会議所の主催にて渡米実業団歓迎晩餐会開かれ、席上栄一、歓迎の辞に対して答辞を述ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁…

 1909(明治42)年8月31日(火) (69歳) 渋沢栄一、八十島宛書簡で渋沢倉庫経営について指示 【『渋沢栄一伝記資料』第53巻掲載】

是日栄一、渡米の船中より、当会社専務取締役八十島親徳に書翰を寄せ、当会社の経営に関し指示を与ふ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 3章 商工業 / 15節 倉庫 / 1款 渋沢倉…

 1909(明治42)年8月19日(木) (69歳) 渋沢栄一、アメリカへ 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日栄一、渡米実業団一行を率ゐて東京を発し、横浜よりミネソタ号に乗船、シアトルに向ふ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 1節 外遊 / 1款 渡米実業団 【…

 1909(明治42)年8月17日(火) (69歳) 渡米実業団団員、明治天皇より午餐を賜る 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日、天皇陛下、渡米実業団員一同に対し、芝離宮に於て午餐を賜ふ。栄一、席上団員を代表して答辞を述ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 1節 外遊 / 1款…

 1909(明治42)年8月15日(日) (69歳) 渋沢栄一、日本貿易協会・日本工業協会主催の送別会に出席 【『渋沢栄一伝記資料』第54巻掲載】

是日、芝区田町浅野総一郎邸に於て、当協会及び日本工業協会主催による渡米実業団送別会開かる。栄一出席し、団長として謝辞を述ぶ。十二月十九日、当協会主催の渡米実業団帰国歓迎会開かる。栄一出席して謝辞を述べ、且つ日米貿易に就きて演説をなす。 出典…

 1909(明治42)年8月4日(水) (69歳) 渋沢栄一、銀行集会所等四団体主催の送別会に出席 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日、東京銀行集会所等四団体主催の渡米送別会、丸の内東京銀行集会所に催さる。総代豊川良平の送別の辞に対して栄一答辞を述ぶ。次いで九日東京商業会議所主催送別会、日本銀行総裁松尾臣善主催送別会、十二日外務大臣小村寿太郎主催送別会、十四日大倉喜…

 1909(明治42)年6月21日(月) (69歳) 渋沢栄一、渡米実業団への参加を承諾 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是より先、アメリカ合衆国シアトル、スポカン、タコーマ、ポートランドの四商業会議所、前年東京・大阪・京都・横浜・神戸の五商業会議所が其代表者を招待せし懇遇に酬いんが為め、右五商業会議所に対し、其代表者三十名をアメリカ合衆国に招待して友情を温…

 1908(明治41)年10月16日 (68歳) アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員を飛鳥山に招待 【『渋沢栄一伝記資料』第25巻掲載】

是より先、東京・大阪・京都・横浜・神戸の各商業会議所はアメリカ太平洋沿岸諸都市の商業会議所代表者を招請し、是月十二日代表委員一行来着す。仍つて十四日、右五商業会議所は聯合主催して紅葉館に歓迎晩餐会を開き、翌十五日、横浜正金銀行はその歓迎晩…