「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年8月15日(日) (69歳) 渋沢栄一、日本貿易協会・日本工業協会主催の送別会に出席 【『渋沢栄一伝記資料』第54巻掲載】

是日、芝区田町浅野総一郎邸に於て、当協会及び日本工業協会主催による渡米実業団送別会開かる。栄一出席し、団長として謝辞を述ぶ。
十二月十九日、当協会主催の渡米実業団帰国歓迎会開かる。栄一出席して謝辞を述べ、且つ日米貿易に就きて演説をなす。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 3章 商工業 / 17節 貿易 / 1款 社団法人日本貿易協会 【第54巻 p.5】

日本貿易協会および日本工業協会は、渋沢栄一ら渡米の一行をのために送別会を開催しました。会場は新築なったばかりの浅野総一郎の自邸、出席者は120名にのぼりました。
食後、日本工業協会会頭金子堅太郎(かねこ・けんたろう、1853-1942)は挨拶の中で、1871(明治4)年の岩倉使節団と今回の渡米実業家を比較、岩倉使節団が官府的な視察だったことに対し、今回は実業的視察で国民的光彩の発揮となる。この任務が重大であることは言を俟たず、将来日米交流のためにもぜひアメリ東海岸の実業家団の来朝も勧誘してほしい、と述べています。次いで池田謙三(いけだ・けんぞう、1855-1923。銀行家)からも挨拶があり、これらに対して栄一は次のような答辞を述べました。

我々一行は甚だ微力にして、果して諸君の期待する如き、任務を果し得るや否や気遣ひなきに非ざれども、唯『忠君愛国』の至情に基く所の一致協同の言動により、聊か国家に貢献する所あらんを期するのみ
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.53掲載、『竜門雑誌』第255号(1909.08)p.44-47)