「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

1909-11-01から1日間の記事一覧

 1909(明治42)年11月1日(月) 日本での報道「渡米団一行中に如斯愛嬌ある失策と手柄とあり」(実業之日本)

『実業之日本』 第12巻第23号 (1909.11.01) p.31-32 渡米団一行中に如斯愛嬌ある失策と手柄とあり 特別通信員 社友 加藤辰弥 渋沢男演説に酒落を交ゆ九月二十二日ミルウオーキー市に於て商業会議所晩餐会席上、渋沢男は演説終りて後、一同に向ひて曰く『吾…

 1909(明治42)年11月1日(月) 日本での報道「渡米団は大統領と如斯趣味ある談話を交換せり」(実業之日本)

『実業之日本』 第12巻第23号 (1909.11.01) p.28-30 渡米団は大統領と如斯趣味ある談話を交換せり 特別通信員 実業団随員 加藤辰弥 九月十九日、一行はミネトンカ湖畔ラフアエツト倶楽部に於て大統領タフト氏と会見した。タフト氏は例に依て愛嬌満面、人毎…

 1909(明治42)年11月1日(月) 日本への発電「華盛頓に着す」(竜門雑誌)

『竜門雑誌』 第258号 (1909.11) p.43-46 △華盛頓に着す(ワシントン十一月一日発電) 今朝華盛頓に到着し、直に自働車にて市内各官衙・華盛頓紀念塔・廃兵院等を見物し、次に国務省の接見室にて、国務卿ノツクス氏及ウヰリヤム次官に面会す、渋沢団長は特…

 1909(明治42)年11月1日(月) 伊藤博文の訃報にカンサス市商業倶楽部会頭より弔電

『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.542-546 ○第三編 報告 第二章 電信雑輯 十一月一日華盛頓滞在中、カンサス市商業倶楽部会頭ブランド氏より左の電報に接したり。 「米国人は大に兇徒の銃声に驚かされたり、而も其不幸の大なることを悲むこと切なり…

 1909(明治42)年11月1日(月) ワシントン到着。公園を巡り、国務省で国務長官と会見。ホワイトハウス等を見学後、ワシントン大統領所縁の地を訪問。夜に議会図書館、議事堂の見学 【滞米第62日】

『竜門雑誌』 第271号 (1910.12) p.25-29 ○青渊先生米国紀行(続) 随行員 増田明六 十一月一日 月曜日 (晴)午前六時華盛頓府ユニオン停車場に到着す、此停車場の宏大にして建築の見事なる、啻に米国の常備軍が悉皆此内に容ると云ふ宏大なる点に於てのみ…