「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月1日(月) 伊藤博文の訃報にカンサス市商業倶楽部会頭より弔電

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.542-546

 ○第三編 報告
     第二章 電信雑輯
十一月一日華盛頓滞在中、カンサス市商業倶楽部会頭ブランド氏より左の電報に接したり。
  「米国人は大に兇徒の銃声に驚かされたり、而も其不幸の大なることを悲むこと切なり。故に吾人の涙を以て諸君の涙と合せ、日本の著名なる愛国者にして大政治家たる伊藤公の死に因りて、日本が遭遇したる不幸に対し、実業団及日本国民に弔意を表す」
右に対し、即日同情に対し感謝に堪へざる旨を返電せり。
○下略
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.268掲載)


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