「渡米実業団」日録

情報資源センター・ブログ別館

 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月1日(月) 日本での報道「渡米団一行中に如斯愛嬌ある失策と手柄とあり」(実業之日本)

実業之日本』 第12巻第23号 (1909.11.01) p.31-32

    渡米団一行中に如斯愛嬌ある失策と手柄とあり
             特別通信員 社友 加藤辰弥
  渋沢男演説に酒落を交ゆ
九月二十二日ミルウオーキー市に於て商業会議所晩餐会席上、渋沢男は演説終りて後、一同に向ひて曰く『吾等一行は今朝停車場へ着するや否や、自動車にて各種の工場へ案内せられ方々見物せしが、何れを「見る」も其規模の「大きい」には実に感服の外なし』とてミルウオーキーを酒落れたが、頭本元貞氏は又極めて巧みに之を通訳し、英語にて此洒落を米国人に告げ、非常に喝采を博したり。
  米人渋沢男の如才なきに驚く
同晩餐会の開かるゝ前、日本より一通の電報飛来せりとて同日の夕刊に現はれた。即目下ウイスコンシン州大学のベースボール・チームが我慶応義塾の野球軍と戦ひて、二に対する三で敗れたりとの報道であつた。此時一行は宛かもウイスコンシン州に居つたので、皆不思議に思つた。処が同夜の晩餐会で渋沢男が当意即妙に之を利用して、米人に一本参られたのは大喝采であつた。演説に曰く、
『……諸君御承知の通り、只今当州大学野球団の青年諸君は、三千里の波濤を蹴破つて遠く日本に渡来し、勇ましく技を闘はして居る、斯く遊戯をする者までも日本に来遊せらるるとは実に愉快に堪へない。然るに実業家諸君にして未だどしどし御来遊なきは、実に遺憾とする所である。どうぞ御奮発を願ひたい……』
といつたので大喝采であつた。殊に列席者は皆ウ軍が我慶軍に負けたことを知つて居たが、渋沢男の演説中、一言も此事に言及されなかつたのは、男が思慮あり又徳性の高きに由るとて、一同賞賛したとの事である。
○下略
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.199掲載)


参考リンク