「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月15日(月) 日本での報道「渡米団一行中の失策は趣味益々津々たり」(実業之日本)

実業之日本』 第12巻第24号 (1909.11.15) p.43

    渡米団一行中の失策は趣味益々津々たり
             特別通信員 社友 加藤辰弥
○上略
  水野夫人渋沢男の演説に泣く
是は失策話にあらず、渋沢男の演説は、到る処日米両国人の感情に深き印象を留めて居る様である。声は少し濁音を帯びて居るが、円転滑脱、肺腑を衝て出るといふ有様で、有髯男子をも奮起せしめる力がある。此頃某市の歓迎会席上に於て、男は例の調子で滔々と答辞演説を試みられた。処が側に居つた紐育総領事水野幸吉氏夫人は感極つて双眼に暗涙を浮べた。聞けば同夫人が演説に泣かされたのは、抑も今回が初度ださうな。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.199-200掲載)