「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月15日(月) 日本への発電「デムバー市の歓迎」(竜門雑誌)

竜門雑誌』 第259号 (1909.12) p.40-49

△デムバー市の歓迎(デムバー十一月十五日発電)
十四日は五千尺の高原を過ぎて初雪を観、其夜デムバーに着し、日本人会の演説会に臨む、十五日は州庁に於て知事シヤフロス氏のレセプシヨンあり、後市役所、消防所、マニユアル・ツレーニング・コスト学校等を訪ひ、運輸倶楽部に於て午餐の饗応を享け、夫れより瓦斯・電気等の工場、貧児養育院・基督教青年会等を訪ひ、夜はブラウン・パレース旅館に於て晩餐会あり、席上知事・町長・スピーア氏等の歓迎の辞、団長及神田男の答辞あり、同夜直にソルト・レーキに向ふ、明朝はロツキー山を越ゆる筈、尚ほ今夜中野・加藤 [・] 南・渡瀬・野田・本田の諸氏、分遣隊としてカルフオルニアに向へり、ロスアンゼルスにて再会の予定なり」
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.321-322掲載)

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