「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1911(明治44)年12月7日(木) ニューヨーク商業会議所、渡米実業団からの感謝状を受領し永久紀念とすることを決議

竜門雑誌』 第287号 (1912.04) p.57

    ○紐育商業会議所と我渡米団
昨年十二月七日紐育州商業会議所に於て、日本渡米実業団に対する決議を羊皮紙に浄写して、今回青渊先生並に団員諸氏に伝達し来りし由なるが、其決議文左の如しと。
  紐育州商業会議所は、紐育駐箚日本帝国総領事を経て、渡米実業団長渋沢男爵並に主要なる商業会議所或は商業組織を代表する著名の士三十有八名によりて贈与せられたる西陣織感謝状を接手せり、該感謝状は団員諸氏自署の氏名、並びに千九百九年該実業団一行の紐育滞在中我商業会議所に於て一行に対し尽されたる歓待を賞賛せる感謝辞を織出せるものなり、而して我商業会議所は千九百十一年十二月七日定期総会を開くに当り、此感謝状を受領し、且つ永久紀念として当所の壁間に掲げ、以て両国親交の記標とせり、日米両国の関係は、過去に於て親善なりしが如く、将来に於ても渝らざることを希望して止ざるなり、凡そ商業は最も優越なる勢力を有するものにして、日米両国商業上の関係深甚なるは、平和の原因を増進するに於て多大の効果あるものとす、茲に総会の決議により、此記録を適当に浄写し、以て渋沢男爵並に団員諸氏に伝達するを光栄とす
           会頭  ヱー・バルトン・ヘツプバーン
           書記長    セレノ・ヱス・プラツト
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.455掲載)