「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1911(明治44)年7月3日(月) 渋沢栄一、元渡米実業団接待員J.P.グードを接待

渋沢栄一 日記 1911(明治44)年 (渋沢子爵家所蔵)

七月三日 雨 冷
午前六時半起床、入浴シ畢テ朝飧ヲ食ス、後書院及洋館等ヲ一覧シテ美術品展覧ノ模様ヲ定ム、蓋シ今日米国人グード等来訪セラルヽニ付之レカ準備ヲ為スニアリ、又来書ヲ点検シ演説筆記ヲ修正ス、十一時半女子大学ニ抵リ、成瀬○仁蔵麻生正蔵氏等ト米国人グード氏ヲ迎ヘテ大学ノ校舎其他ノ各室ヲ一覧セシメ、後、晩香寮ニ於テ茶菓ヲ饗ス、午後一時グード氏ト共ニ自働車ニテ王子ニ抵リ、自家ニテ午飧ヲ饗ス来会スル者十二人許リナリ、午飧畢テ書院ニテ美術品ヲ一覧セシメ、又庭園ヲ散歩シ、茶席ニテ抹茶ヲ点ス ○下略
(『渋沢栄一伝記資料』第39巻p.57掲載)


竜門雑誌』 第268号 (1911.07) p.44-45

○グート博士招待会 青渊先生が去明治四十二年の秋、渡米実業団長として渡米の際、合衆国政府より接待員として派遣を命ぜられ、終始同一行と共に各地を巡回したるシカゴ大学教授ジエー・ピー・グード博士には、先きにマニラ政府の招聘に応じ地質学講演の為め同地に滞在せられたるが、期満ち米国への帰途再度日本に来遊せられ、本月一日来京せられたるを機とし、青渊先生には其渡米中の厚意に酬ゆる為め、本月三日女子大学に案内し尚、午後一時飛鳥山邸に招待して鄭重なる午餐を饗せられたり、当日の来賓はグード博士を主賓として神田乃武男・中野武営・岩原謙三・田中彦吉・山崎馨一・小池国三・堀越善重郎・原三之助・加藤辰弥の諸氏来会し、先生及令夫人主人と為りて接待せられたるが、右午餐を終り、後、日本座敷に於て新古美術品を展覧せしめ、夫れより庭園を逍遥して抹茶を饗し、午後四時半解散せられたり。
 因に先生には同日飛鳥山邸より自働車に同乗して、同氏を旅館なる帝国ホテルに送られたり。
 同日夜東京在住前記渡米団員に於て同氏を帝国劇場に招待したるが先生にも列席せられたり。
 [中略]
   ○七月三日夜、帝国劇場ノ観劇ニ臨席セシハ、前項ノ如クロシア国観光団ノ為ニシテ、グード博士ノ為ニアラズ。「竜門雑誌」ノ誤記ナリ。
(『渋沢栄一伝記資料』第39巻p.57掲載)