「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1910(明治43)年1月22日(土) (69歳) 東京高等商業学校で語った渡米中の所感 【『渋沢栄一伝記資料』第44巻掲載】

日栄一、当校に於て生徒に対し、渡米中の所感を述ぶ。同夕、上野精養軒に於て開かれたる当校職員並に同窓会主催の渋沢・神田両男爵帰国歓迎晩餐会に出席して演説をなす。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 5章 教育 / 1節 実業教育[承前] / 1款 東京高等商業学校 付 社団法人如水会 【第44巻 p.141-142】

渡米実業団団長として1909(明治42)年8月に日本を発ち、9月から11月にかけて米国各地を訪問した渋沢栄一は、帰国翌年の1月22日、東京高等商業学校(一橋大学の前身)で講演を行い、その後上野精養軒での晩餐会に出席しました。晩餐会席上で栄一は、教育の問題として現地では「今日の商業家には語学がすこぶる必要である」ということと、更に「学問負けをしないこと」の二点を感じたと述べています。
この日の講演内容は『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.426-430に、晩餐会での挨拶文は第32巻p.423および第44巻p.141-142に、それぞれ『竜門雑誌』からの転載として紹介されています。