「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1910(明治43)年1月4日(火) 温知会主催歓迎会

竜門雑誌』 第260号 (1910.01) p.41-46

    ○青渊先生歓迎会彙報
△温知会の歓迎会(一月四日) 曾て青渊先生との関係最も深かりし諸会社の代表者諸氏を以て組織せられたる温知会にては、青渊先生が無事米国より帰朝せられたるを祝する為、本月四日午後五時より帝国ホテルに於て歓迎会を開きたり、当日の来会者は左の如し
 佐久間精一    岡部真吾    諸井恒平
 佐々木慎思郎  梅浦精一    高松豊吉
 久米良作     犬丸鉄太郎  田中元三郎
 植村澄三郎    田中栄八郎  脇田勇
 近藤陸三郎    小林武次郎  郷隆三郎
午後七時晩餐を開始し、其将に終らんとする頃、梅浦氏は起つて、会員一同を代表して左の如く歓迎の辞を述べたり
  閣下並に諸君
  今夕は渋沢男爵閣下が渡米実業団を率ひ、其団長として昨年八月日本を発せられ、海陸壱万参千余哩の長途旅行中亳も故障なく、而も其重大なる任務を果され、芽出度帰朝せられたるは、本会々員一同の喜悦何物か之に過ぎん、特に本会々員の喜悦は天下多衆より切実なるを覚ゆるものあり、抑も昨年本会の組織せらるゝに当り其命名を男爵閣下に乞ひたることありて、我々会員各自は多年其薫陶誘掖を辱ふし、常に閣下を尊崇敬慕すること恰も親子に於けるが如く、申さば閣下は本会の名付ケ親と一般なり、故に閣下が昨年長途の旅行中日夜其身辺如何に顧慮するの情、天下多衆よりも一層切実なりしに、今や閣下が無事健全に、両も其風貌昨年出発せられたる当時よりも尚壮健なるを見るに於ては、我々会員の喜悦蓋し天下多衆より切実なりと云はざるを得ざるなり
  故に我々会員は聊か其衷情を表する為、茲に歓迎の小宴を開き、尊臨を乞ひたるに、時下寒気劇烈なるをも厭はせられず、又極めて多忙なるにも拘らせられず、今夕光臨を辱うしたるは、本会の最も光栄とする処にして、会員一同を代表して深く感謝せざるを得ず
  さて男爵閣下が最初「シヤートル」に上陸せられ、終りに於て桑港にて乗船せらるゝ迄、米国大陸を縦横跋渉せられ、五十有余の都市は到る処相競うて其特長たる事物を視察に供せられたるは勿論、歓待優遇殆と至らさることなく、而も尚其足らざるを恐ると云ふの有様なりき、真に男爵閣下が或る宴に於て恰も今回の行は竜宮に遊びたるの想ひありと述べられたるは、真に然かありしならんと想察せらる、男爵閣下は如此優遇歓待の中に彼我の交情を疏通せられ、日米の親睦をして益々深厚ならしめ、以て我政治上に又国際上に多大の利益を与へられたるは別問題として、我商工業将来の発展に資する処決して鮮少にあらざるは信じて疑はざる処なり、男爵閣下は各地到る処其特長たるを、商工業は勿論其他各般の事物に就き細大漏らす処なく視察せられ、而して其採集せられたるものは悉く之を玉手箱中に納めて帰朝せられたるに付、今より我商工業各方面に向て随時適処に之を分配せらるべきは亦信じて疑はざるなり
  諸君御承知の如く、我商工業は近時不景気の極端に達し、殊に昨年男爵閣下が日本を出発せられたる以来、都鄙共に其声一層甚だしきものありき、然るに此不景気は新年を迎ふると共に漸く順調に向はんとするの兆あり、之を病者に譬ふるに熱度四十度より漸次降下して是れより将に平熱に復せんとするものゝ如し、其病源は一二にして足らざるべきも、今熟ら其病状を察するに、蓋し主治医たる者其施術を誤りたること、却て之が病源を為したるやの憾なきを得ず、今や主治医たる当局は其病源の如何に想到して適当の投薬を為さんとするものゝ如し、此時に当り我国経済界の名医たる男爵閣下が、米国より携帯せられるたる嶄新なる神薬を配剤せらるゝあらば、其回復の近きにあるべきは信じて疑はざるなり
  乍去病者の回復に向はんとするや食餌を欲すること殊に急なり、而して其欲するに任して、薬餌の配剤多量に失する時は或は亦害なきを保せざるなり、宜かるかな男爵閣下は帰朝以来各方面の歓迎会に於て、其玉手箱中より適度に其分量を計りチビリチビリと配剤せしめたりと聞く
  冀くは閣下は今夕我々会員に向つて適応なる神薬の配剤あらんことを、終に臨んで重ねて閣下の光臨を謝し併せて閣下の健康を祝す
と述べたるに対し、青渊先生には先づ歓迎の厚意を謝せられ、続いて大要左の如き感想を述べられたり
  「トラスト」組織なるものは、必ずしも専売独占的の利益を壟断せんとするに非ず、余りに分業に走るの極は、製造費節減に欠くる所あるを以て「トラスト」に依り云はゞ分業的統一を遂げ以て製造費を節減し得るの意味なきに非ず、此辺は特に注目すべき所にして、今後米国の製産品が東洋の市場に輸贏を争ふの日は、東洋の主人たる我国は最も之に当らざる可らざるに、今日我国の凡の事業は個々細々に分立して、其結果自ら蝸牛角上の争に陥るが如き有様にして到底米国品の東洋来襲に当る可も非ず、是に於てか米国の「トラスト」組織が経済上に及ぼすべき効果の甚だ多大なるを認めざるを得ず、随て其之を我国に採用するの利害得失は大に講究せんと欲するなり、又米国各工場に於ける職工の待遇の冷酷なる、我国のそれと殆んど正反対なるの感あり、即ち職工なるものは其労働により賃銀を得るものにして、雇主が其労働の程度に応ずべき賃銀の仕払を為す限りは、其他の待遇如何を問ふの必要なしとするものゝ如し、彼我の差霄壌も啻ならず、是亦其利害に関しては大に研究を費さゝる可からざるなり、之を要するに此の二者は共に研究を要すべき問題と認むるに付、本会会員に於ては充分注意あらむことを望む
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.419-421掲載)