「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年12月19日(日) (69歳) 渋沢栄一、渡米実業団帰朝歓迎会で演説 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日、日本貿易協会主催渡米実業団帰朝歓迎会、同協会に開かれ、副会頭池田謙三の歓迎の辞に対し栄一謝辞を述ぶ。同じく是日東京商業会議所主催同所選出渡米実業団員帰朝歓迎会、日本橋倶楽部に催さる。次いで二十日東京銀行集会所等主催京浜間在住渡米実業団員等歓迎会、二十一日鰻会主催歓迎会、二十四日米友協会主催歓迎会、二十五日正午基督教青年会主催歓迎会、同夜経済学協会主催歓迎会、明治四十三年一月四日温知会主催歓迎会、二十二日東京高等商業学校同窓会主催歓迎会催さる。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 1節 外遊 / 1款 渡米実業団 【第32巻 p.415-423】

1909(明治42)年12月19日、日本貿易協会は渋沢栄一ら渡米実業団一行の帰朝歓迎会を開催しました。栄一はその席上、「日本は輸出にばかり力を入れており米国からの輸入が少ない」と米国各地で指摘され、それに対し米国官民有力者を招いて「不均衡ながらも米国民がその貿易により得ている利益も多い」と私見を述べたエピソードを披露、歓迎会出席者に向けて日本でも貿易発展を謀る努力をして欲しいと語っています
渋沢栄一は様々な団体が主催する歓迎会に招待され、それぞれに演説を行っています。この後翌年まで続いた諸団体による歓迎会の概要や栄一が演説で語った内容は、『渋沢栄一伝記資料』の以下の箇所で紹介されています。

  *開催日/主催者等 (『渋沢栄一伝記資料』掲載巻・ページ)