「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年12月8日(水) 船内競技会開催。洋上で天洋丸乗船中の新任駐米大使内田康哉と電報で交歓 【航海第9日】

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.443-458

 ○第一編 第九章 帰航日誌
     第三節 船中の下
十二月八日 (水) 晴
 今日より船客競技会を行ふ、甲板にて体力を競ふもの、喫煙室にて智嚢を搾るもの等、随意随所に在りて徒然を忘る。折柄天洋丸の航路に近けるを以て、直に之に打電し、乗組の新任米国大使男爵内田康哉氏に祝意を表す。
    天洋丸内田大使宛      地洋丸 渋沢
 三ケ月間米国官民の厚情を受けたる我渡米実業団は、遥に閣下及男爵夫人に敬意を表し、御任務の成功を祈る。
直ちに内田大使より返電あり
    地洋丸渋沢男爵宛      天洋丸 内田
 御好意多謝、御成功を祝し、御一行の万福を祈る。
夜に入り乗組外人側にて舞踏会の催あり。水野・福井両夫人、並に令嬢等招かれて之に列す。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.379掲載)