「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

1909-12-08から1日間の記事一覧

 1909(明治42)年12月8日(水) 日本政府からの謝意に対し、アメリカ国務長官ノックスからの回答

『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.618-622 ○第三編 第九章 雑件 第五節 帝国政府より米国政府へ謝意申入れの件 [3日より・前略] 右に対して国務卿ノックス氏は、左の回答を寄せたり。 以書簡啓上致候、陳ば当国に来遊せられたる日本実業家一行に対…

 1909(明治42)年12月8日(水) 日本での報道「実業団布哇着」(東京日日新聞)

『東京日日新聞』 第11853号 (1909.12.08) ○実業団布哇着 渡米実業団一行中の中野東商会頭より、七日同会議所に宛て布哇より左の電報到着せり 一行は桑港発以来、海上無事、只今ホノルヽ着、十七日午前九時横浜上陸に決定せり、地洋丸無線電信機故障あり、…

 1909(明治42)年12月8日(水) 船内競技会開催。洋上で天洋丸乗船中の新任駐米大使内田康哉と電報で交歓 【航海第9日】

『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.443-458 ○第一編 第九章 帰航日誌 第三節 船中の下 十二月八日 (水) 晴 今日より船客競技会を行ふ、甲板にて体力を競ふもの、喫煙室にて智嚢を搾るもの等、随意随所に在りて徒然を忘る。折柄天洋丸の航路に近け…