『実業之日本』 第12巻第25号 (1909.12.01) p.27
失策も如斯なれば却て愛嬌あり
特別通信員 社友 加藤辰弥
『勘太郎が食ひたい』
米国にカンタロープとて、瓜の一種で球形の非常に味のよい果実がある。渋沢男も夫人も是が大の好物で、先づ第一に此果実を命ぜられるといふ程である。多木氏も是が非常に好き、能く名を聞て忘れて居たが、或人から『君、勘太郎を覚えて居給へ』と言はれ、成程さうだと漸く覚えて、或日独りで食堂に現はれ、給仕を呼で忽ち『勘太郎、勘太郎』と絶叫した。給仕はどうも能く分らぬので、先生耐え切れず、ペンを出して紙上に絵を描て見せると、給仕は漸く合点、軈がて持参りし物を見ると、一の大なるドンブリ鉢、是れではないと頭を掉つて居る中、英語の出来る団員がはいつて来て問題は漸く終結した。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.200掲載)