「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月29日(月) 太平洋両岸聯合商業会議所、貿易振興の具体化策について協議(第二委員総会開催)

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.560-575

 ○第三編 報告
     第四章 日米聯合商会議所協同に関する件
    第二委員総会記事
明治四十二年十一月二十九日、フェーアモント・ホテルに於て第二委員総会開会、出席者左の如し。
  米国側
       座長 ローマン
          ドールマン
          ブース(ロス・アンゲレス)
          ダビットソン
          モーア
          オスボーン(ロス・アンゲレス)
          クラーク
          キャプテン・バーンソン
  日本側
       男爵  渋沢栄一
            中野武営
            松方幸次郎
            土居通夫
            西村治兵衛
            上遠野富之助
       総領事 水野幸吉
       書記  頭本元貞
特別委員の報告あり、引続いて前現商工事務官任命に関する第三節削除の議を提出し、満場一致を以て左の決議を通過したり。
      決議案
茲に代表者の会合せる日本聯合商業会議所、及ひ米国太平洋沿岸諸州商業会議所は、訪問及び歓待を交換し、又斯る友誼の交換より、何等現実且つ有利なる結果を収むるの要を認め、左の通り決議す。
此の会合は、各自所属の聯合会議所に対し、左の二項を提議勧奨する事。
(一)両聯合商業会議所は、両国間の貿易を増進拡張する為に協力する事。
(二)両聯合商業会議所は、各自委員(団体)を設定し、又は吏員を任命すべく、該委員又は吏員は他の一方の委員又は吏員と聯絡協力し、以て左の任務を尽すべし。
  両国の物産・製造品及び需要に関する報告を、蒐集配付すること。
  通商上現存する障礙を調査報告し、之を除去することを努むる事。
  両国間の商業を発達増進する手段方策を案出する事。
  若し有利なりと認むれば、前現事項を商量措置する為めに、日米国際商業会議所の設置を以て、究竟の目的とすべし。
以上の決議に基き、米国太平洋沿岸聯合商業会議所の代表者は、各々帰郷の後、之を其所属商業会議所に提出し、其決議の結果を報告をすべく、我六商業会議所も、各代表者に於て帰国の上、之を所属商業会議所に提出して、其可否を問ふ筈にて、若し幸にして米国太平洋聯合商業会議所所属の各商業会議所に於て之を採用し、尚一面我六商業会議所に於ても之を可決したるときは、茲に日米聯合商業会議所が、協同の機関を設置するに至る順序にして、米国側よりは未だ其後の報告に接せずと雖、本邦の六商業会議所に於ては、先づ名古屋を始めとし漸次之を可決したる趣の報告に接せり。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.367-368掲載)


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