「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月29日(月) 午前は各自視察と帰国準備、午後は一同で商業会議所、取引所を訪問。夜はセント・フランシス・ホテルで正式晩餐会 【滞米第90日】

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.428-435

 ○第一編 第八章 回覧日誌 西部の二
     第十二節 桑港附オークランド
十一月二十九日 (月) 晴
午前九時より各員は左記の各処を視察す
 株式市場及銀行(小池・飯田・町田)
 教育、州立大学附属手工学校(熊谷・神田男)
 絹物及デパートメント・ストア(堀越・伊藤・久保田)
 造船業(松方)
 水道(原博士) 医学(熊谷)
 陶磁器(藤江) 建築(原林・田辺)
其他の諸氏は荷物整理・買物・訪問等に忙殺せらる。
午後二時十五分、団員一同は桑港商業会議所を訪問し、同二時三十分より四時迄「マアチャント・エキスチェンジ」(取引所)の階下広間にて歓迎式を行はる。午後六時四十五分、一同はセント・フランシス・ホテルに向ふ、同ホテル内「コロニアル・ボール・ルーム」に於て正式晩餐会あり。席上商業会議所会頭マクナブ氏、渋沢男、知事ギレット氏、市長テール氏、及ローマン氏、シユウエリン氏等の演説あり、夜半散会、一同フェヤーモント・ホテルに帰る。
我団は明日を以て解纜帰朝の途に就くを以て、渋沢団長は桂総理大臣・小村外務大臣に宛て左の電報を発せり。
 四十二年十二月一日
  桂総理大臣宛 (各通)        渋沢栄一
  小村外務大臣
我実業団は、本日桑港より乗船帰朝の途に上らんとす
陛下の 御聖徳と国威の余光とに依り、到る処予想以上の歓待を受け、寧ろ平生に優るの健康を以て、三ケ月の米国内地旅行を終へたるは、一同の幸とする処、若し夫れ意志の疏通に裨益し、国民的外交に一歩を進め得たりと云ふべくむば更に望外の幸なり。
団員を代表して謹而報告す。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.362掲載)


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