「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月27日(土) ゴールデンゲート・パーク、クリフハウスを経て、H.P.ブイの私邸などを訪問。夜は日米協会のレセプションの後、巌谷小波が日本文学に関する講演を行う 【滞米第88日】

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.428-435

 ○第一編 第八章 回覧日誌 西部の二
     第十二節 桑港附オークランド
十一月二十七日 (土) 晴
午前九時出迎の自働車に分乗し、住宅区域十数哩を見物し、夫れより金門公園の勝景を見、後ちクリッフ・ハウスにて少憩、正午コルマに着、零時十分コルマを発して、バーリンゲームに着、夫れより自働車・馬車に分乗して、同地の田園倶楽部に至り、弁護士スコット氏並に有志の招待にて午餐の饗応を受く。
午後三時一同はヘンリー・ピー・ブイ氏の私邸に至り、同氏が日露戦捷紀念として、特に建設したる凱旋門の開扉式に臨む。ブイ氏の流暢なる日本語の挨拶に次いで、渋沢男祝辞を述べ、尚ほ手づから綱を引いて門扉を開く。式後、同邸園内にて茶菓を饗せらる。午後四時頃転じてサブラ氏の招待に応じ、同邸内の純日本式庭園を参観し、五時頃特別列車に分乗して帰宿す。今夕ボヘミアン倶楽部にて同会員の芸競べあり、拾数名の団員之に出席せり。尚九時より当館の隣なる桑港美術学校にて、日米協会の接見会あり、多数出席す。同会には故巌谷一六居士及故久保田米僊氏の遺墨展覧あり、皆ブイ氏の所持に属す。蓋し氏は有名なる日本通にして、只に邦語を能くするのみならず、書を一六居士に、画を米僊画伯に学びて、共に自在の域に在り。接見会の後、ブイ氏の紹介にて、巌谷氏日本文学に関する一場の講話(高石氏通訳)を為す。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.361掲載)


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