「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月26日(金) 日本への発電「桑港に着す」(竜門雑誌)

竜門雑誌』 第259号 (1910.12) p.41-42

△桑港に着す(桑港十一月二十六日発電)
我実業家一行は二十二日サンデイヤゴに着し、太平洋海岸の勝地及びラジヤヨガ学校(電文不明)を訪ひ、コロネード旅館にて盛なる午餐の饗応を受け、二十三日にはリバーサイド土人教育所を参観し其よりレツドランドの広大なる蜜柑畑を通過し、到る処日本人労働者より歓迎を受けたり、二十四日はアリゾナ州にてグランド・カニヨンの奇観を賞して一日の休養を為し、二十五日は、終日汽車にあり、二十六日午前九時オークランドに入れり、斯くて一行は三ケ月間寝食せしプルマン式の特別列車に別れを告げたるが、此の長日月間何等の故障もなく旅程を全うせしは、殊に一行の謝する所なり、オークランドにては市内見物の上、カリフオルニヤ大学を参観し、其れよりカンツリー倶楽部にて午餐会あり、席上会頭下院議員ノーランド氏等の歓迎辞、渋沢団長及び神田男の答辞あり、終りて桑港に向ふ、此処にて知事・市長等のレセプシヨンを受けて、フエアモント旅館に入れり
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.359掲載)


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