「渡米実業団」日録

情報資源センター・ブログ別館

 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月26日(金) 太平洋両岸聯合商業会議所、貿易振興の具体化策について協議(第一委員総会)

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.560-575

 ○第三編 報告
     第四章 日米聯合商会議所協同に関する件
[前略]
 左の記事はローマン氏英文にて調製したるを原本とす
    第一委員総会記事
明治四十二年十一月二十六日、米国桑港フェアモント・ホテルにて開会、出席者左の如し。
  日本側
   男爵 渋沢栄一   (団長)
       中野武営   (東京商業会議所会頭)
       土居通夫   (大阪商業会議所会頭)
       西村治兵衛  (京都商業会所議会頭)
       大谷嘉兵衛  (横浜商業会議所会頭)
       松方幸次郎  (神戸商業会議所会頭)
       上遠野富之助 (名古屋商業会議所副会頭)
  総領事 水野幸吉   (紐育駐在)
  領事  永井松三   (桑港駐在)
       頭本元貞
  米国側
   ゼ・デー・ローマン    (米国太平洋沿岸聯合商業会議所会頭シヤトル商業会議所会頭)
   エフ・ダブリュー・ドールマン (桑港商業会議所)
   シー・エッチ・ハイド   (タコマ商業会議所)
   オー・エム・クラーク  (ポートランド商業会議所)
   シー・エッチ・ムーア  (スポーケン商業会議所)
   ロバート・ダラー     (桑港商業会議所)
   アール・ビー・ヘール  (同上)
   キャプテン・バーンソン (同上)
   ストールマン       (桑港商業会議所)
   ダビットソン       (サンディアゴ商業会議所)
ドールマン氏の提議に依り、ローマン氏座長席に着く、頭本氏書記の事務を掌る。
座長開会を宣言す。
ドールマン氏曰く、数日前渋沢男爵より、日米両国商業会議所間に、一時的ならざる協同の或方案を講究することの望ましきに依り、其為めに桑港に於て、一の相談会を開きたき希望を申出でられたる処、自分は之を至極良き思付と思慮したり。自分が先年日本滞在中視察したる処に依れば、日本人は米国より相当の利益を以て、日本へ売込み得べき物品を、欧洲より購入しつゝあるの事実あり。若し斯かる事態を来たすべき原因が、日米両国間の貿易の上に存在するに於ては、其障礙を除くことは目下の急務なりと思慮す。日本国民は米国に対し、良好なる友情を有するに依り、米国商人は日本に於て多大の便宜を有することは疑ひなきも、米国人自ら日本に於ける市場を開拓することに付き、甚だ活動し居らざることは、顧みて極めて遺憾とする所なり。故に此点及類似の問題に付き、出席の日本紳士より、何等の意見を発表さるゝことを歓迎すと。
渋沢男爵は、自己の希望が斯く欣然として日米紳士の間に容れられたるに付き満足の意を表し、且つ斯く両国実業者間訪問の交換及好意の表彰が、満足に行はれたる以上、何等具体的実務的の形式に於て、相互間に存在する友情を表彰するべき効果を生ぜざるは、実に遺憾のことにして、此会合が何等永久に或る形式によりて利益ある結果を来たさんことを切望する旨を述べ、尚本問題に関して後に愚見を詳陳する所あるべきも、先づ列席の各員より、虚心担懐に意見のある所を吐露せられんことを希望する旨を述べたり。茲に於てムーア氏は、日米実業家協同の希望は、具体的に言へば過般米国製農具を日本に売拡むることに関し、ハッカム氏と渡瀬寅次郎氏との間に相談しつゝありたる如き、実際的の形式に出でんことを望む旨を述べ、兎に角、米国農具製造家は、日本へ専門技師を派出し、日本に於ける購買力及市場の現状を調査するべき価値ある旨を述べたり。
松方幸次郎氏は、米国製造家が日本に於て取引をなすに付て、極めて無頓着なることに関し、列席者の注意を請はんとする旨を述べ、自分は機械類を手広く購入する造船所長として、常に欧米各地に註文を発する所、独逸又は英国に註文したる場合に於ては、製造家は機械の引渡しと共に、専門技師を日本に派出し、其運転其他に付き、十分なる注意助力を与ふるを常とするに反し、米国の製造家は、毫も斯かる手段を採らず、単に機械の送付を以て任務終れりとするを常とす。斯かる事態は、要するに米国の国内に於ける需用過多及市場の豊饒なるに起因するものなりと思はるれども、米国は日本に取りては、最近の西洋国なれば、米国実業家にして、日本貿易に対し現在以上の注意を払はざるが如きは、甚だ悲むべき現象と信ずる旨を述べ、尚米国州際通商委員会の決定が、日米両国間の運賃を高率ならしめ、以て貿易の増進を妨げるの結果を生ずることに論及し、終りに日米両国貿易増進の為めに、一の国際団体を組織するの議を提出せり。
茲に於て渋沢男爵は、日米両国間に、国際通信の方法を開設せられんことを希望する旨を詳陳し、且つ両国政府に対し、商工事務官設置及任命を建議することの必要又有益なるべき旨を附言せり。尚ローマン氏の発意に依り、シヤトルにて目下調製中なる貿易品に関する精密なる価格表の如きものは、極めて有益なりと信するに依り、斯かるものを双方に於て調製し、之を交換することは多大の利益あるべしと思はるゝを以て、更に此趣意を拡張して、太平洋の両岸にある日米聯合商業会議所の提携、若くは協同を以て、両国通商増進に資するため報告を交換し、其他必要の場合に於ては、一致の運動を取る如きは、現下の状況に徴し、必要なる考案ならずやと提議せり。
上遠野富之助氏及西村治兵衛氏は、太平洋両岸商業会議所協同事務所様のものを設置するの議を賛成する旨を述べたり。
ダラー氏は、日米両国間の貿易は、常に輸出入の均衡を保つ能はず、其結果米国より、常に金貨を日本に輸送せざるべからざるに至るの現象を悲む旨を述べ、尚松方氏の述べたる如く、州際通商委員会の運賃に関する行動に付き、遺憾の意を表し、該委員会は、外国貿易を阻害するものなりと評するも、敢て過酷ならざるべしと信ずる旨を述べ、更に進んで日本聯合商業会議所と、米国太平洋聯合商業会議所との間に、直接通信の永久的機関を設置するの案は、極めて妙なるべしと考ふるも、唯た此際に於て、米国の政治家若くは商工業家が、日本に其代理者を派出し、実地に付て商工業の状態を視察することは、更に必要なるべしと思慮する旨を述べたり。
大谷嘉兵衛氏は、渋沢男爵の提案に賛成する旨を述へたり。
次に渋沢男爵は曰く、「自分が日本聯合商業会議所と、米国太平洋聯合商業会議所との間に、直接通信の方法を設立せんことを建議したるに付一言注意を請ひたきは、予の此提議は、敢て日本の各開港場に在住して業務に従事せる外国商人の業務を妨害せんとする趣意にあらず。斯る誤解なからんことを希望に堪へず、予の意思は全く之に反す。予の見る所に依れば、日米両国聯合商業会議所間の協同の結果として、両国の貿易を増進し、延て是等商人若くは外国商館の事業は益々発展増加こそすれ、決して減少することなかるべしと信ずるなり」と。
キャプテン・バーンソン氏は、松方氏の州際通商委員会に関する所言を、全然賛成する旨を述べ、該委員会の為めに、米国輸出業者は、英国若くは独逸の競争者と、日本の市場に於て対等の地位に立ちて角馳すること、殆ど不能なるに至れりと述べ、米国商人が日本の市場を、実地に就て研究するの必要を極言し、氏が曾て日本に在りたる際、花筵業の実状を研究し、外国仲買商人の反対中傷ありしに拘らず、自ら日本当業者と直接に取引を開きたる経験に依り、極めて満足良好なる結果を得たることを述べたり。
座長ローマン氏は、州際通商委員会の決定の結果として、斯かる不都合なる事実あるに於ては、合衆国国会に建議若くは請願をなす為めに委員を指名すること或は必要なるべしと述べたり。
時に土居通夫氏は、此機会を利用して、外国に於ける大阪製品に対する粗製濫造の非難に関し一言する所あり。大阪製品の粗製濫造に陥りたる実際の原因は、主として註文者の希望が斯かる粗製品を要するが為めにして、製造家は不本意ながら其註文に相当する物品を産出する次第なれば、必しも大阪の製造家のみを非難すべきに非ざる旨を述べたり。
モーア氏、キャプテン・バーンソン氏、ドールマン氏等、尚続ひて発言を求め、渋沢男爵の提議、即ち日米両国間の貿易を増進する為めに協同の行動を取る目的を以て、日本聯合商業会議所と米国太平洋聯合商業会議所との間に、直接通信の永久的機関を設置するの議を賛成する旨を述べたり。
此時ムーア氏及キャプテン・バーンソン氏等は、商工事務官の任命を政府に請ふの一案は、日本は兎も角、米国に於ては其要を認めざる旨を切言し、之を撤回せられんことを述べたり。
松方氏も亦、聯合の通信機関を設くるの議に賛成するも、商工事務官の任命に関し、米国国会又は日本議会に建議若くは請願をなすことには、賛成する能はざる旨を述べたり。
茲に於て、座長は此会合に於て論議したる所を綜合したる一の決議書を起草する為めに、特別委員四名を出すの議を提出し、満場一致可決したり。
ドールマン氏続いて、右特別委員は、米国側より二名、日本側より二名、計四名たるべきこと、而して米国側の二名はローマン氏之を指名すべく、日本側の二名は渋沢男爵之を指名すべきことを提議せり。
右の提議は可決され、渋沢男爵は松方幸次郎・頭本元貞の両氏を、ローマン氏はモーア、キャプテン、バーンソンの両氏を指名したり。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.362-366掲載)


参考リンク