「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月24日(水) 渋沢栄一、特別列車の従業員に宛て感謝状を出状

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.556-557

 ○第三編 報告
     第三章 感謝の決議
○上略
      第五 プルマン使用人に対する分
千九百九年十一月二十四日汽車進行中
 日本渡米実業団特別列車食堂車「アメリカ」号車掌イー・エツチ・ブラウン殿、日本渡米実業団特別列車プルマン宮殿、客車事掌エフ・エス・リスゴー殿(各通)
拝啓、日本渡米実業団員は、合衆国三個月間の旅行中に、吾人の健康愉快の為めに、貴下が配慮の周到なることを認識す。旅行中各地のホテルより日本列車に帰る度に、吾人は常に「我が輪上の家」に帰来するを喜びたり。今此愉快なる住居を去るに当りては、母国に於ける我等の家庭にあらざれば、今将さに失はんとする愉快を補ふに足らざるべく候 敬具。
                   男爵 渋沢栄一
○下略
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.315-316掲載)


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