「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月22日(月) インペリアル・ヴアレー視察記(高辻奈良造氏報告摘要)

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.409-412

 ○第一編 第八章 回覧日誌 西部の二
     第七節 インペリアル・ヴアレー視察記
                (高辻奈良造氏報告摘要)
[21日より・前略] 此夜は車中に睡り、翌二十二日早朝起床、扉を開けば既に目的地に在り、此地はメキシコ国ローワー・カリフオルニア州の北部、亜米利加合衆国との国境に近き所にして、「サウザン・パシフィック」鉄道会社の「インペリアル・ジャンクション」より分岐する線路中のテコローテー駅附近なり。一同下車野生の雑草、土壌其他農事関係の事柄を調査し、時間の都合により尚東行してコロラド州を視察することを止め、引返して再びカリフオルニア州に入り、アレキシコ市に下車し、同市方面を視察して、エルセントロー市に帰り、更に自働車に乗じて、附近の農園を視察し、又ホールトン郊外鉄道により、ホルトヴィルに至り、途上屡下車して、専ら棉花栽培の状況を取調べ、尚其附近のインペリアル其他の都市を歴訪し、遂にエルセントロー市に帰り、同夕の発車にて出発、[後略・23日へ]
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.352掲載)