「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月22日(月) サンディエゴ到着。ロマ岬で神智教附属学校ラジャ・ヨガ学院を訪問。ホテル・デル・コロナドで商業会議所の午餐会 【滞米第83日】

竜門雑誌』 第274号 (1911.03) p.63-68

    ○青渊先生米国紀行
         随行員 増田明六
十一月二十二日 月曜日 (晴)
午前七時サンデヤゴに到着す、青渊先生にはまだ病気快癒に赴かれざるを以て、特に列車に滞在し、午後一時コロナド・ホテルに於て開れたる商業会議所主催の午餐会に出席せらる、同ホテル支配人ウイリアム・クレートン氏司会者となり、歓迎の辞を述ぶ、次に市長コナルド氏の演説に次ぎて、青渊先生は病を押し、立て一行を代表して答辞を述べ、次に商業会議所会頭ジー・エー・ダビドソン氏及マキンレー内閣の大蔵大臣たりしエル・ジエー・ゲージ氏の演説、最後に永井桑港領事の謝辞ありて夕刻列車に帰着し、六時リバサイドに向て発車す
此日一行は午前九時出迎の自働車に分乗して、市内を巡覧しつゝポイント・ロマに到り風光を賞し、夫より神智教附属学校ラジヤ・ヨガ学院を訪ひ、校長ティンダレー夫人の案内にて校内の設備を看覧し、尚スポールデイング氏邸に到りて茶菓の饗を受け、午後一時コロラド・ホテルに着す
○下略
  ○十一月二十三日ヨリ以降増田ノ紀行記事ナシ。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.303-304掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.392-425

 ○第一編 第八章 回覧日誌 西部の二
     第八節 サンデアゴ
十一月二十二日 (月) 晴
午前七時サンデアゴ市に着、九時四十分一同出迎の自働車に分乗して市内を巡覧し、疾走拾数哩、ポイント・ロマに向ふ。同地はサンデアゴの北方に突出せる岬角にして、左方はサンデアゴ湾、右方は太平洋に臨めり。其岬端に無線電信所あり。即ち其傍に下車して四方の風景を賞す。眼下の海峡を隔てゝコロナド町あり、人口千五百有余、サンデアゴ市の南方拾数哩の地より、一条の長堤を以て連続す、恰も我が天の橋立の如し。十一時頃神智教附属学校ラジヤ・ヨガ学院を訪ふ。神智教は普通基督教と大いに其教旨を異にし、真の信仰は他の説教、若くは聖書などより得らるゝものに非ず、己の心の光明より発するものなりと云ふに在り。現今ティングレー夫人、鋭意熱誠以て本山を主管し、小中大学を其構内に設け、四海同仁を以て本旨とし、子女の教育を事とせり。有名なる運動器具商スポルディング氏の如きも、同宗の熱心なる帰依者にして、現に構内に清洒を極めたる一屋を作りて居住し居れり。一行は先づ同校大会堂に於て、校長ティングレー夫人其他職員諸氏に接見し、それより中央なる円形の会堂に入る。君が代の奏楽の後テツヲ・ステヘンソンなる日本少年、邦語にて歓迎の辞を朗読す。同人は横須賀造船所技師ステブンソン氏の養子にして、四十一年秋頃単独渡米して同校に入りし者なりと云ふ。それより少女生徒の舞曲数番の後、幼年生の算術・地理・綴字等の学術試問あり。席上神田男は一行を代表して謝辞を述べしに、校長ティングレー夫人は最後に立て、自分は七年前日本に遊びし事、其際日本の文明の大に進歩し居れるに驚くと共に日本人には一種卓越せる精神あるを見出せし事、其の精神は即ち四海同胞、一視同仁の精神に帰著する事等を熱心に述べたり。同院を辞し、直ちに隣家なるスポルディング氏の住宅に於て茶菓の饗応を受け、それより同校構内の寄宿舎及び校長の住宅等を訪ひ、正午頃漸く辞して同所を去り、更らに市街を縦断してコロナドに渡り、行くこと一哩余、コロナド・ホテルに入り、先づ一同紀念撮影の後、大広間に於て商業会議所主催の下に午餐を饗せらる。同ホテルの支配人なるクレートン氏司会者となり歓迎の辞を述ぶ(同氏は昨年太平洋沿岸商業会議所員と共に来日せし一人なり。次に市長コナルド氏は曰く『我が市は太平洋沿岸中極南の良港にして、洋を隔てゝ日本と最も近く隣れる地なり、此故に当市の繁盛に赴くは、即ち両国の福利を増加するものなり』云々、次に中野氏は団長に代りて謝辞を述べ、且つ千九百十五年に当地に開かるべき、パナマ開通紀念博覧会には、是非参加せんことを、今より予め約し得べき旨を述べて大に喝采を博したり。商業会議所会頭ダビトソン氏は、歓迎文を朗読し、次にマッキンレー内閣の大蔵大臣たりしゲージ氏は、老躯を提げて、立て快活なる歓迎演説を為し、最後に永井領事は曩に我が練習艦隊寄港当時の好意に対し、謝辞を述ぶ。かくて夜に入り列車に帰る。
午餐会上朗読されたるサンデアゴ商業会議所正式決議文左の如し。
      日本実業団歓迎の辞
カリフォルニア州サンデアゴ商業会議所は、合衆国の西南端なる此港に、諸君来訪の光栄を謝し、諸君の滞在の愉快ならんことを希望す。
大日本帝国と北米合衆国との間に存立する交誼の関係は、最も満足すべき状態にあり。此両国民の間に存立する友誼と厚意が、更に一層鞏固ならんことは吾人の熱心なる希望なり。
吾人は又、両国間の貿易関係は更に増進し得べきこと、又増進せざる可らざることを信じ、之れが為めに必要なる手段を講ぜざるべからずと信ず。
吾人は諸君の健康・幸福・繁栄及び帰航一路の平安を祈る。
       サンデアゴ商業会議所会頭
          シー・ダブリユー・デビトソン(手署)
       書記     ヂヨン・エス・ミルス(手署)
又、ポイント・ロマなるラジヤ・ヨガ学団に於ける歓迎文は左の如し。
日本実業団諸君、四海同胞及神智教会の師長カザリン・ティングレー及ロマ・アイランドの学生・父母・教員・生徒は、日本の著名なる紳士淑女を、我麗はしきホームに歓迎す。
此地は四海同胞及神智教の国際的本部にして、世界殆んど総ての国より、代表者此処に参集し、相協力して、人道の進歩、平和及世界各国及人民の和親の為めに尽さんとす。
神智教の開祖ヘレナ・ピー・フラバッキー曰く
  「神智教は人種的及国民的の反感及障壁を撤去し、四海同胞の主義を実現すべき道を開かんとす。此教に因り、将又此教が、近世人の頭脳に会得せしむるに努めたる手続に因り、西洋は東洋の真価を理解し、之れを賞美するに至るべし」と
開祖第二世、即ちフラバッキー夫人の後見たりし、ウヰリアム・キユー・ジャッジ曰へり
  「此神智教の大主義は、全人類をして効力ある一致をなさしむることに存す。此教や種族の為めに尽すべきものにして、自己の為めに尽すべきものにあらず、又東西両洋に渉る人類合同に最も効果ある教旨を鼓吹し、人と人との関係を改良し、援いて終には真の四海同胞を実現するの、公明なる成算を有するものなり」と
現教主カザリン・ティングレーは曰く
  「吾人をして宗派の別及び独断(ドグマ)を棄てゝ、広く兄弟として一致せしめよ、他人の状況を改善すべく努め、相互に人道公益の為めに努力せよ、古き時代は今を去りつゝあり。我等は今新時代の無限なる将来と相面して立つ」と
  一九〇九年十一月二十二日
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.312-314掲載)


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