「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月21日(日) パサデナの農園見学、伊藤博文追悼会、エルクス・ホールにおける日本人演説会等。インペリアルバレー視察の一団出発 【滞米第82日】

竜門雑誌』 第274号 (1911.03) p.63-68

    ○青渊先生米国紀行
         随行員 増田明六
十一月二十一日 日曜日 (晴)
青渊先生の容体前日と同様にして、体温平常の如くならず、及気管支も幾分疼痛を感ぜられ、咳嗽未止、午後吸入を試みられたるに幾分快く感ぜられたり、此日午前熊谷氏先生を診断して、桑港に於て健全なる行動を取られんとならば、是非此地に於て一行と分れ直路桑港に到りて静養せられん事を請ふ旨の懇談ありしが、先生には承諾を与へられす、遂に病を押して一行と共に午後九時列車に乗込まれたり
此日一行は、中野武営氏を先頭に午前中はパサデナの農園地方を巡覧し、午後は市内公園・住宅区域を巡覧して青年会館及婦人青年会館に到り、会長レッツ氏以下会員の催にかゝる伊藤公爵追悼会に臨まれ、夜は在留日本人会の招待に応じて日本人倶楽部の晩餐会に列し、解散後エルクス館の日本人演説会に列席せられたり
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.303掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.392-425

 ○第一編 第八章 回覧日誌 西部の二
     第五節 ロスアンゲレス市
十一月二十一日 (日) 晴
午前中特に定められたる順序なきも、パサデナ農園地方巡回希望の者は午前九時半自働車にてホテルを発し、午前中之を見物す。午後二時一同は出迎の自働車に分乗し、市内公園・住宅区域を巡覧し、三時半より青年会館及婦人青年会館を訪ふ。会長レッツ氏以下会員の主催により、伊藤公哀悼会を開く、神田男の演説あり。午後六時日本人会の招待に応じ、一同日本人倶楽部に赴き同胞開催の晩餐会に列す。午後八時解散後、「エルクス」館に演説会を開く。弁士中野・西村・大谷・上遠野及巌谷の諸氏、同胞の聴衆約二千人。此夜乗車羅府を辞す。紫藤章氏病を以て此地に留まる。高辻・南・渡瀬・神野の四氏は、接伴員オスボーン氏の紹介を以て、此地よりインペリアル・ヴァレーなる農業地の実地調査に向ふ。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.312掲載)


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