「渡米実業団」日録

情報資源センター・ブログ別館

 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月20日(土) 日本での報道「渡米実業団消息」(東京経済雑誌)

東京経済雑誌』 第60巻第1517号 (1909.11.20) p.964-965

    ○渡米実業団消息
本月八日インデアナポリスに入りたる我渡米実業団は、十日聖路易に着、各方面の歓迎会に臨み、又各種の銀行・商店及工場を参観し、十一日夜半カンサス市に向ひ、十三日同市着、市長の晩餐会等あり、同夜オマハに向ひ十四日に着したるが、有名なる民主党の領袖ブライアン氏夫妻は、曩に日本来遊中非常の歓迎を受けたるを多として、リンコーン市より特に接待の為めに来り、夫人は婦人側の歓迎を斡旋し、ブライアン氏は商業倶楽部の晩餐会席上、世界的友誼として大要左の如き演説を為せり
  余は近頃毒手に殪れ、世界各国均しく哀悼せる伊藤公爵を能く知れり、又政敵たる大隈伯とも会見せるが、以上両大政治家の意見を聞いて、国利民福の大主義の前には党の異同の真に謂ふに足らざるを感じたり、凡相互確執の起るは、単に相互の誤解に基くなり、故に斯く日米国民の交誼を温むるは、既に親密なる関係を更らに親密ならしむる所以なりと信ず、抑々貨物の輸出入に対しては厳重なる税関あれど、思想の輸出入には何等制裁のあるなし、今回賢明なる紳士諸君が米国より輸入さるゝ所のものは、貴国の福利に資する所尠からざるべし、希くは今回の巡遊をして日本国家に齎らす所多からしめよ、抑も世界各国は自国民の福利を保護すべき義務あり、敢て他国民の富強を咀ひ、延いて他国民をして自国民の権利に危惧を及ぼさしむる如き愚をなさゞるべきを信ず、現世界の趨勢は主として経済的見地に基き世界の列国は漸く平和の世界たらしめんと欲す、故に我国は世界に率先して一大協約の提議者となり、国際紛議に先ちて仲裁会議を開くの得策たるを主張するも、決して空論にあらざるべし、更らに喜ぶべきは人世哲学の進歩が近年特に顕著となり、之れに依り戦争を未前に防ぐの傾向ある事なり、各個人が社会の進歩によりて自から益する如く、国民亦各国の発達によつて幸福を得るを期すべし、他人の損害により自個を益し、若しくは他国の衰頽に乗じて、自国を強うするが如きは、決して策の得たるものにあらず、之れ蓋し世界人類の均しく信ずべき真理ならずや云々
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.316掲載)


参考リンク