「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月13日(土) 日本への発電「カンサス市の歓迎」(竜門雑誌)

竜門雑誌』 第259号 (1909.12) p.40-49

    米国に於ける 青渊先生の消息(承前)
△カンサス市の歓迎(オマハ十一月十三日発電)
十二日カンサス市に到着、直ちに商業倶楽部に於てレセプシヨンあり、次に高等学校にて歓迎式あり、終つてエヴアンストン倶楽部にて午餐を済まし、織物卸売商会・国立銀行・農具製造所等を巡覧し夜はバルチモアー・ホテルに晩餐会あり、商業会議所会頭ブランド市長クリデンダン両氏の歓迎辞あり、之れに対し、渋沢団長・神田男の答辞あり、フランシス氏は博覧会の例を引いて友情ある演説あり、同夜オマハに向ふ、本日(十三日)商業倶楽部にて、晩餐会あり、有名なる大政治家ブライアン氏も出席し、一場の演説を試みる筈なり
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.320-321掲載)


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