渋沢栄一書翰 佐々木勇之助宛 1909(明治42)年11月3日 (佐々木勇之助氏所蔵)
十一月 廿九日[印]
益御清適奉賀候、其後毎々尊書被下候得共、当方実ニ多忙執筆之暇を得す、乍思御疎情申上候、御海容可被下候
旅程も追々相進ミ、今日ハ当華盛頓も相済ミ、夜半より又汽車ニ乗込候都合ニ御座候、余す処尚弐拾ケ所も有之候得共、兎も角も本月三十日ニハ桑港まて相済、帰途ニ就き候筈ニて、最早三分二を経過せし訳ニ御座候
紐克ニてハ当方よりも相当之饗宴を開き、地方人士を相招き申候、又例之シフ氏抔頗る親切ニ午飧会相開き、府内有力之大家のミ二十有余名参列し、有益なる一会有之候、但此宴ハ特ニ小生之為ニシフ氏之開かれたるにて、一行ニ関しても商業団体等種々之宴会数回に及申候、又ボストン、フイラドルフイヤ等も先以好都合ニて、充分之歓迎を受申候、当華盛頓府ハ中央政府之地として諸事他地方と異り、政府之優待ニ出て昨日ハ国務卿ニ於て開宴之筈なりしも、親戚ニ病死者有之候ニ付、其次官ウユルソン氏宅ニて午飧会相開き申候、又其朝ハ陸軍練習所ニ於て、騎兵・砲兵等之演習を為し、一行ニ一覧為致候抔、各地方ニてハ見るを得ざる事多々有之候
韓国中央銀行設立ニ関し、過日詳細之来示拝承仕候、素より其辺之成行と想像候ニ付、別ニ意外ニも無之候、只々伊公之凶変等より経済界ニ何か異状等不相生様、切ニ御注意之程祈上候、市原其他之人々も主任と相成候ニ付而ハ、当方之事のミ相考候様ニも相成兼可申、此上ハ精々双方共ニ忠恕之道を取失はさる事専一と、呉々も斯念仕候、御領意之上市原氏其外へも御伝声可被下候
伊藤公之事ハ、実ニ千歳之恨事申上候様も無之候、韓国ニ対する我邦之政策ハ、別ニ動揺無之筈と夫のミ祈上候事ニ候
本店・各支店とも別ニ相替候義無之と遥頌仕候、定而百事御高配、別而御繁忙と察上候、年末ニハ老生も帰京御手伝可申ニ付、何卒御耐忍被下度候
東洋汽船会社之事も、来示ニて拝承、帰途桑港ニて概略ニても聞合可申と存候
紐克ニてシフ氏との取引ニ付而ハ、期日ニ相済候由を、正金銀行今西氏より伝承し聊安心仕候 ○中略 右等来示之御答旁、匆忙中取交可得貴意如此御座候 不備
十一月三日当賀 渋沢栄一
佐々木勇之助様
梧下
尚々日下・市原、其他之諸君へ、呉々も御伝声頼上候也
佐々木勇之助様 渋沢栄一
親展
十一月三日
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.258-259掲載)
参考リンク
- 都市詳細 ワシントン - 渡米実業団
〔渋沢栄一記念財団 渋沢栄一〕
http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/1909/city/c39_washington.html