「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年11月2日(火) 実業団渡米紀念金牌の贈呈

渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.576-582

 ○第三編 第五章 徽章及び金牌伝献の件
     第一節 実業団渡米紀念金牌
[前略]
越へて十一月二日、一行ワシントン滞在中、国務卿ノックス氏が特に一行の為めに、午餐を饗せられる予定なりしを以つて、其の席にて贈呈の筈なりしも、当時国務卿の家内に不幸ありて、之れを履行し難きを以つて、同次官ウイルソン氏(嘗て本邦に在勤したることあり)代つて一行に午餐を饗し、其席上氏は前日の金牌を提出し、渋沢団長に対して、該金牌は費府造幣局長の寄贈に係り、合衆国政府の承認を以つて、日本 天皇陛下に捧呈したし、依て渋沢男に之れを托し、帰朝の上 天皇陛下に伝献方依頼したき旨演説せり。尚ほ一行の正賓・専門家及び婦人に対し、同型の銀牌を各一個宛贈付したり。渋沢男は右国務次官演説の旨を諒し、帰朝の上は謹んで伝献方取計ふべき旨を答へ、該金牌を落手せり。
右金牌に付き斯の如き手続に出でたる内情は、若し該金牌を米国中央政府より、我 天皇陛下に捧呈するものとなすときは、国際の慣例に由り、在本邦米国大使、又は在米国本邦大使の手を経ざる可からざる次第なるが、素と此金牌たるや、一行の渡米を紀念する為めに調製したるものなるに付、是非共実業団長の手を経て、我 天皇陛下に伝献されんことを希望せしより、之れを米国中央政府の名を以て捧呈することを見合せ、造幣局長よりの献納品となし、而も米国国務省の承認を経たることを表する為めに、殊更に国務卿代理たる次官より、渋沢団長に伝献方を依頼したるものなり。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.449-450掲載)


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