「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年10月23日(土) 日本での報道「渡米実業団の紐育歓迎」(東京経済雑誌)

東京経済雑誌』 第60巻第1513号 (1909.10.23) p.778

    渡米実業団の紐育歓迎
我渡米実業団は、十月七日我国に初めて使節を送りたるフイリモーア大統領の生地たるバツフアローより、ナイヤガラ瀑布見物に出掛け、一寸加奈陀領に立寄り、夕刻帰りて共進会発会式に臨み、同夜ロスチエスターに向ひ、同市に於て思出多き演説の交換あり、更にイサカを経、シラキユースに入り、セネクタデーを過ぎりて十二日朝愈々紐育に着し、ホテル・アストルに投ぜり、接伴委員エリオツト氏の発言にて、実業団と接伴委員及昨年日本へ渡来せし米国人側との間に、此後の親密なる関係を結び、諸般調査の便宜を図る為めに両国側より数名の調査委員を挙げたり、十三日は同地絹物業組合の案内にて、彼の有名なる大統領にして日本の指導者たりしグラント将軍の霊廟をハドソン湖畔に訪ひ、日々諸処の招待、観光視察に忙殺せらるゝ有様なるが既に十六日を以て米国旅程の半ばに達せり、同地滞在は十日間の予定なり
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.227-228掲載)


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